小説 川崎サイト

 

面白くない話

川崎ゆきお



 いつか同じようなことがあったなあと田村は思うのだが、以前と今とでは捉え方が違う。それは当然だろう。状況が違うためだ。そのため、昔は楽しめても、今はさほどのことではなかったり、またはその逆もある。
「世の中は面白い」と、田村は以前なら思っていたのだが、面白いという言葉を最近使わなくなった。
 これも以前とは違うことで、その間、田村の考え方や感情も変わったためだろう。
 面白いは、馬鹿がはしゃいでいるように聞こえるようになったからだ。それ以前に面白いだけでは何ともならないことが分かってきた。
「面白いことを言うねえ、田村君」
 先輩格に当たる津村が、そう言った。この先輩も面白いというのをよく連発する。田村も以前は連発していた。
「年々地味な良さが分かるようになってきたんじゃないのかね、田村君」
「そんな隠居さんのような年ではないですよ」
「いやいや、今から初めておいた方がいいよ。隠居時代は短いから。千年万年生きられるものじゃないしね」
「あ、はい」
「私なんて、小学生の頃からサボテンを育てているよ。何種類もね。さすがに爺さんがやっていた盆栽は、まだ小学生では面白くも何ともなかったからね」
「今は盆栽ですか」
「いや、あれは手入れが大変で、下手なのを人に見られちゃまずいから、やっていないよ」
「サボテンは」
「ああ、あれは枯れてしまって、鉢ごと庭の土に帰ったよ」
 津村は田村の自転車を見る。
「買い物チャリに替えたの?」
「はい、ハンドルが遠くて低いタイプがしんどくて。それに鞄もカゴに入れた方が楽なので」
「前のマウンテンバイクはどうしたの。あのタイヤの太いやつ」
「だから、前かがみがしんどくて、それに鞄も重いので」
「いいんじゃないかな。そういうのが乗れる心境になって」
「自然とそうなりますよ。以前のように遠出しませんし、スピードも出しませんから」
 自転車は自転車だが、以前とは対し方が違っている。そこを先輩の津村に言ってみた。
「面白いことを言うねえ、田村君」
 先輩はまた面白いを連発しているようだ。それで、田村は馬鹿にされたように感じた。
 それで、面白いという言葉の使い方について、津村にコメントを求めた。
「面白いことを聞くねえ、田村君」
 何ともならなかった。
 
   了
 

 


2014年5月26日

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