小説 川崎サイト

 

朝礼

川崎ゆきお



「力説してしまうとまずいですなあ」
 定年後、まだ工場で働いている坂上が言う。最長老と言うほどの貫禄はない。平の工員のまま定年を迎えたのだ。ずっと二等兵のままだった。
 その坂上は、最近朝礼で話すようになった。教訓めいたことを言えばいいだけだ。毎日ではなく、月曜日のみ。
 その草案を一週間かけて作り、練習していた。役職に就けなかったのは病気がちのためで、長く入院し、休職していたことがある。一度ではない。
「力説するときは注意が必要なんだなあ」
 それを聞いている鴨は部下ではない。後輩程度だ。この鴨も定年後、まだ来ている。いずれ坂上が辞めれば、月曜の朝礼の役が回ってくるはずだ。
「どういうことですか、坂上さん」
「力説というか、熱演しすぎると、嘘臭くなる。それと、感情が出てしまう。これがまずい。こういうときは個人的感情で話していることになる」
「お寺さんの説話のようなものでいいのでしょ。兎と亀の話程度の」
「それは覚えられん」
「ああ、そうなんですか。簡単な話ですよ」
「君も、大勢の前で話せば分かるが、頭は真っ白になるんだ」
「因幡の白兎ですね」
「ああ、皮をむかれて赤肌かじゃないが、赤恥をかきそうになる」
「毎週聞いていますが、普通ですよ。しっかり話されているじゃないですか」
「教訓の本を書ってねえ。それを読んで自分のものにして喋るんだ。理解していないと、喋れないんだよ。暗記しても忘れる。真っ白になる。順番を間違える。だから、自分で消化した話でないと駄目なんだ」
「簡単に話していると思っていたのですが」
「一週間かかるねえ。そこまで詰めるのに」
「それを家で練習するのですか」
「ああ、声を出してね。録音もし、チェックもする」
「ああ、すごい努力です」
「まあ、適当に話せばいいって、言われているんだけど、そうもいかない」
「結婚式のスピーチ程度でしょ」
「まあ、そうなんだが、ネタを自分で探さないといけない。何もないところからね」
「でも、教訓集とか、そういった虎の巻があるじゃないですか」
「うん、そうなんだ。自分じゃ話は作れないからね。しかし、台本はあっても実際に喋るとなると、これは別なんだ。台本を見ながら読むのならいいけどね」
「それで、力説がどうのって、何です」
「つい、感情移入してしまってねえ。講演が講談調になるんだ。身が入ってしまってねえ」
「身ですか」
「身か何か分からんが、気持ちが入ってしまうことがある。これが、もう、臭い臭い」
「ああ、はい」
「この臭いを消したい」
「消臭剤をつければ」
「それも考えたが、遠くまで届かんだろ」
「そうですねえ」
「なぜ臭くなるのかというと」
「何でしょう」
「だから、感情移入のし過ぎなんだ。そして、力んでしまう」
「はい」
「しかしねえ鴨君」
「はい」
「これが、気持ちよくて、気持ちよくてねえ」
「はあ」
「聞いている方は悪臭で大変だろうが」
「いえいえ、熱演されているなあと、感心しながら聞いていますよ」
「そうか」
「悪くないですよ」
「本当か」
「はい」
「いいのか、あれで」
「最近、間の取り方も凄いですよ。もの凄く引っ張るでしょ」
「ああ、あれはねえ、やりだすと病み付きになる。かなり間を空けるんだよ。まるで台詞を忘れたかのごとくね」
「本当にそうだと思い、冷や冷やしましたよ」
「あれは、わざとなんだ」
「あ、はい。でも、頭の中真っ白になるって言ってませんでした」
「感情さえ乗れば、黒くなる」
「はあオセロですねえ」
「しかし、感情が入ると熱演してしまう。また入らないと、丸暗記では忘れてしまう。この調整が難しいよ」
「毎週毎週大変ですねえ。僕も出来るでしょうか」
「やり出すと、楽しくもあるねえ。今まで職場で注目されたことがあるかね。ないだろ。それが、一気にこの年で来るんだ。これは張り切るよ」
「はい、また、臭いの、お願いします」
「やはり、臭いんだ」
「あ」
 
   了
 


 


2014年6月2日

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