小説 川崎サイト

 

交換レンズ地獄

川崎ゆきお



「やはり交換レンズは必要でしょうかねえ」
 河野は見知らぬ老人から声をかけられた。公園で花を写しているときだ。
「これ一本で写せるレンズってないですかねえ」
「さあ」
「標準ズームで写しているんですが、広角はいいとしても望遠が物足りない。それで、ダブルズームキットというのを進められて、それを買ったんですよ。すごく安いんです。レンズだけを買うより、かなりお得だったんだなあ」
「あ、はい」
「ところがあなた、レンズ交換しないと駄目なんだ。一枚写し、次のを写すとき望遠ズームを付ける。次の一枚を写すとき、また交換して、標準ズームを付ける。写しているときより、レンズ交換しているときの方が長いんだよね。それに交換するとき、ボディに穴があく。ここからゴミが入って、そのゴミが写り込んだりするじゃないですか」
「それは、自動的に振動させて掃除すると聞きましたが」
「取れないのがありましてね。サービスセンターで落としてももらいましたよ。面倒ですよね。だから、頻繁にレンズ交換するのは」
「ダブルズームですか、それを一本にしたのも売られていますよ」
「いや、それを買えば、ダブルズームが死ぬじゃないですか。安く買った意味がないし、捨てるようなものでしょ」
「ああ、はいはい」
「私の友人がそれを買って、自慢するのですよ」
「でも、近くまで寄って花が写せないでしょ。最短撮影距離が長いので」
「いや、かなり寄れますよ。それに望遠マクロが強い」
「あ、はいはい」
「しかし、花や虫を写している奴がいましてねえ。こいつはマクロレンズとやらを持っているのですよ。それ一本で他はない。接写ばかりじゃないですが、これ一本ですむって」
「あ、はい」
「しかし、私は接写ばかりしているわけじゃない」
「そうですねえ」
「薄暗いお堂で、仏像なんかも写すんです。こんなとき明るいレンズが欲しい。ズームじゃ暗い。どうすればいいですかねえ。やはり、交換レンズをカメラバッグに詰め込んで持ち歩くのかねえ。肩が痛くてねえ。襟なんて、あなた、寄ってしまって、みっともないしねえ」
「ああ、はい」
「あなた、そういう不満はありませんか」
「ああ、はい」
「そのカメラ、何ですかな」
「コンパクトカメラです」
「あ、そう」
「ちょっと写すだけなので」
「ズーム比は」
「五十倍あります」
「え」
「超広角から超望遠まで」
「接写は」
「一センチからです」
「ああ」
「安いですよ」
「しかし、画質が」
「綺麗ですよ」
「少し、貸してください」
 老人はカメラを借りた。
「見た目より軽いですなあ」
「片手でも写せますよ」
「おお、これはいい。知っていたんですがね。でもおもちゃだと思い、無視していたんだ。やっぱり機械はしっかりとした本物でないとね」
「そうですねえ」
「ファインダーが汚いですなあ。粗いですなあ」
「あ、はい」
「ズームはどこで?」
「そのレバーで」
「おお、電動かい」
 老人は花など見ないで、カメラばかり見ていた。
「私も、友人が持っている広角から望遠までいける交換レンズを買うべきだなあ」
「それがいいと思いますよ」
「しかし、これ、五十倍だろ。それには負けるなあ」
「でも、画質で勝ちますよ」
「そうだねえ」
「でも」
「ん、何」
「単焦点の高いレンズなら、もっと勝ちますよ」
「それなんだよ。それ」
「そうでしょ」
「困ったねえ」
 老人は思わず花をむしり取ってしまった。
「あ、つい興奮して」
「はいはい」
 
   了
 
 



2014年6月15日

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