小説 川崎サイト

 

我が領地

川崎ゆきお



「最近領地が減った」
「大名ですか」
「領主ではないが我が町や我が里などがあった。我が店や、我が通りもね」
「行動範囲が狭くなったということですね」
「まあそうだ。昔、旅行に行ったときの写真を見ていたんだがねえ。よくあんなところまで行ったなあと、思うよ」
「秘湯とか」
「山奥にある行者の宿だ。まあ、車があれば行けるんだろうが、あの細くて、くねくねした道は、プレッシャーだろうなあ。勾配もきつい」
「車で行かれたのですか」
「いや、駅から小さなバスが出ていてねえ。一応観光地だから、そこそこ同乗者はいたよ」
「写真を見て、それを思い出していたのですね」
「バス停があってねえ。山道沿いにぽつりと一軒だけ古い家がある。停留所名は、その農家の名字だよ」
「その家族しか、乗り降りしないんですか」
「そこから渓谷に降りられるので、釣り人とかがいるかもしれない」
「はい」
「当然、その停留所は通過だよ。これで、農家が消えれば、停留所も消えるんだろうねえ」
「終点は行者の宿ですか」
「その宿で泊まって、山に登るんだ。山伏姿でね。半分は団体さんだ」
「行ってみたいです。僕も」
「一緒に御山に登る必要はない。鍾乳洞や怪しげな神社もある。あとは豊かな自然かな。渓谷の水がおいしい。だから、ご飯がおいしい。あれは、あの水で炊いているんだろうねえ。あんなおいしいご飯を食べたのは生まれて初めてだった」
「水が名物だったのですか。名水とか」
「それほどでもないけど、豆腐もうまかったなあ。やあり水がいいんだ。ああ、しかし、そういう話じゃない」
「行者の話ですか」
「そうじゃない。もうあんなところは遠くへ行ってしまったなあと、思うんだ」
「はい」
「その行者の宿が気に入ってねえ。夏場は避暑も兼ねて毎年行っていたよ。だから……」
「え、だから」
「我が領土だった。あの里は」
「はあ」
「飛び地だね。そういう領地は。まるで自分の里のように思えた。そういうのがまだ二三あったねえ。海なら我が浜とかもね。さすがに我が海とまではいかないが」
「そういう我が何とかというのが減ってきたと」
「そうなんだな。領地が減ったよ」
「また、行かれればいいじゃないですか」
「郷愁や、懐かしがってじゃ駄目なんだ」
「過去に生きるということですからね」
「それはそれでいいんだけど、やはり出掛けるのなら初めてのところがいい。新鮮なね。近場で、また小さな領地を見付けるとするかな」
「はい」
「雑談になったねえ」
「いえいえ」
 
   了
 




2014年6月25日

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