小説 川崎サイト

 

お囃子が聞こえる

川崎ゆきお



「人には一人一人に物語がある」
 と、物語の好きな人が語り出した。立花はまたかと思いながら聞いている。
「物語は作られる。編集される、そのままでは物語とは言えない。編集してこそ面白い物語となる」
 立花は最近この手の話をよく聞く。以前からそういう風潮はあったのだが、今は食べ飽きた。聞き飽きた。
「同じ体験でも、切り口により物語性が違ってくる。ジャンルそのものもな。どういう人生を歩んできたのかは今ここで分かる。それは今このときの切り取り方、とらえ方、編集の仕方により違ってくるのだ。だから、この教室では編集技術を大いに学んで欲しい。あなたの過去はそれで塗り替えられる」
 新味がないと立花はガッカリした。逆に安心だ。この程度のことを大事そうに語るのだから。
「物語とは流れだ。自分の流れを探しなさい。いや、思い出しなさい」
「先生」
「質問はあとにして下さい。流れがあるので」
「はい」
 一人の生徒は、質問をやめた。
 話の流れは先生にあり、生徒にはない。だから、この教室の物語は先生の物語となっている。立花がいつも思うのはそれなのだ。自分の物語にこだわるのはいいのだが、物語の取り合いになる。
「自分の過去やってきたことを書き出しなさい。それらは細切れのエピソードです。そこに脈略を見付けることから始めましょう。これを文脈といい、コンチキチンです」
 やったと、立花は思った。生徒全員も同じことを思った。知らないのは、このコンチキチンの先生だけだ。それに気付かず、先生の話は続く。これこそ、物語の妙ではないか。
「先生、祇園祭の物語ですか? またはキツネの話ですか」
「何がかね」
「コンチキチンと、今、お囃子が」
 先生は、まだ気付かない。
 これで、この場の物語は先生から生徒達のものになった。
 
   了
 



2014年6月28日

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