小説 川崎サイト



行けない場所

川崎ゆきお



 地下鉄の階段を上ると青空が見えた。良雄はその眩しさに思わず目を閉じる。
 最後の一段を上がると地上だ。見たことのない風景が続いている。掴みようのないようなビルが並び、高速道路の裏が見える。
 別世界、異次元、亜空間……という言葉が良雄から出る。小声なので誰にも聞こえない。
 夢遊病者とはこんな状態かもしれない。風景を見ているようで見ていない。車道に出たり、見知らぬビルに入り込んだり、人とぶつかったりはしない。
 良雄は考え事で夢中のとき、風景を全く見ていないことがある。よく通る道に限っての話で、今日のような見知らぬ町を歩くときはそれなりに見ている。そのはずが今日は妙で、見ていないのだ。
 考えに熱中しているわけではない。行くべき場所がある。地図でおおよそ調べてあり、それを頭の中にたたき込んでいる。
 自動操縦のように進めるのはそのためだ。
 良雄はそれでも違和感がある。急に地上に上がったためではない。実は地下鉄に乗っているときからこの空気が流れていた。
 良雄は迷い込んだわけではない。自分で目的地へ来ている。
 空は晴れ渡り、雲一つない。明るい陽がビルを照らし、街路樹の葉が一つ一つ見えるほど鮮明だ。
 この明るさは眩しいほどで、光が良雄に迫り、そして襲って来る。
 良雄は目的のビルを見付けた。
 ここまではまだ大丈夫だ……と自分に言い聞かす。
 行き交う人を見るのも怖い。異星人が化けているように感じる。この感じは昔から抱いていた感覚で、新たな発見ではない。
 来てはいけない空間に踏み込んだ感覚。良雄は気持ちがぐらつくが、その都度、水平に持ち直した。その揺れが良雄の精神を撹拌し、さらに現実の風景が違って見え出す。
 これは夢かもしれない。地下鉄で居眠っているのだ。まだ電車内にいるのだ……と、可能性の一つを考える。
 説明のつかない居心地の悪さ。
 いつもの良雄ではないような自分に良雄は動揺する。
 間違っているのはこの風景かもしれない……
 しかし良雄はビルの入り口に歩を進め、玄関ロビーに身を置いた。
 エレベーターの前に立った。十四階で降りればよい。
 ボタンを押すと、すぐにドアが開いた。その密室の箱を見た瞬間、良雄は臨界点に達した。
 そして会社面接を自主的判断で取りやめた。
 
   了
 
 



          2006年12月29日
 

 

 

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