小説 川崎サイト

 

大衆酒場の青春

川崎ゆきお



 正岡はサッカーの試合を見ていた。ワールドカップだ。そのときふと思い出した。飲み屋だ。
 二十年ほど前も、同じカードを見ていた。当然二十年前とは選手も違っている。当然だ。
 その対戦カードを二十年前、飲み屋で見ていた。ビルとビルの間にあり、古ぼけて、しかも安っぽい。大衆食堂のような大衆酒場だった。不思議と妙な連中が来ていた。
 正岡はこの町で、今はイベント関係の仕事をしている。そのきっかけとなったのが、その飲み屋かもしれない。
 というのも、写真家の卵や小説家や、漫画家、絵描きやイラストレーター、演劇、当然フォークやバンドの連中もよく来ていた。正岡は当時編集者になりたくて、小さなタウン誌のバイトをしていた。
 この飲み屋に何故そんな連中が集まっていたのかは分からない。ただ言えることは、広いわりにはすいている。だから打ち上げや、その二次会でよく使われていた。さらに朝方まで営業しているため、朝まで開いてそうな安い飲み屋はここだけになる。深夜喫茶なども何店かあった時代だし、ファミレスもあった。しかし、その飲み屋に不思議と集まってきていたのだ。
 飲み屋の親父は普通の人で、無口な調理人だ。気さくな奥さんがいるが、これも何処の飲み屋にもいそうな人だ。
 こういう店は中高年が多いのだが、不思議と若い人がいる。安いということもあったのだろう。
 二十年前、正岡は今日と同じカードを見ていたのだが、その試合は忘れた。
 正岡はイベント関係の仕事をしているのだが、最近は手伝いの方が多い。
 サッカーを思い出したのではなく、そこに集まっていた若い人達はどうなったかだ。二十年経過している。タウン誌の仕事で取材などを試みたが、編集長の許可は下りなかった。名がないためだ。まだ売り出し中、練習中や、修行中なのだ。
 ただ、個人的に話すことがあった。それを聞いていると、何ともならない人達だとすぐに分かる。おそらく売れないだろうと。
 ただ、この人達は青春なのだ。それがミュージシャンごっこでも、作家ごっこでも、画家ごっこでもかまわないのだ。
 あの頃二十歳だった連中は今は四十を過ぎているだろう。もうお父さんお母さんになっているかもしれない。
 その中から有名になった人は一人もいない。正岡も二十年前はジャーナリストを気取っていたが、今はイベント会場作りの裏方程度の仕事しかしていない。だから、あの飲み屋に集っていた連中は、正岡も含めて、さっぱりだ。何も成せなかった。
 サッカーの試合を見ていて、ふとそんな昔のことを思い出したのだが、あそこでの一瞬のきらめきを、正岡は未だに嬉し恥ずかしく覚えている。
 
   了
 

 


2014年7月15日

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