小説 川崎サイト

 

先祖の怨み

川崎ゆきお



 郊外の住宅地、すぐそこに山が壁のように立ちはだかっている。川が流れているが、昔は三本も四本もあったらしい。川の名を付けるのも忌まわしいほど氾濫し、川筋も違ってしまうためだ。今まであった川が消えたり、出来たりしているのだから、川の名などあってもなくてもいいようなものだ。
 遠い時代、治水工事で氾濫はかなり治まり、豊かな農地となった。
「これが村の歴史だよ」
 お爺さんが孫に話す。
「教科書にはないよ」
「郷土の歴史も副教材としてあるが、それにも載っておらんようじゃなあ」
「うん」
「その治水工事で新田が出来た。わしらの先祖はそこを耕した。百ほどの家がな」
「それで、百姓と言うの」
「違う違う。偶然百家族ほどが移住してきた村なんだ。さてそこからだ」
「何があったの」
「うむ、何かあったから、こうして話しているんだよ。ここから先は郷土史家も知らぬ。何故なら、一切口外せんかったからじゃ。村の者は村外の人間には喋らん」
「知ってるよ。水争いだろ」
「新田の前に、以前からあった村との争いじゃ。これは、従うしかない。新入りはな、今の正岡のことだよ」
「正岡に友達がいるよ」
「仲良くしておるのか、それはそれは」
「何か問題でも」
「もうないがな」
「何々?」
「水不足のときは、水をくれんかった。しかし、従うしかない。それが原則でな。この鉄則は曲がらん。だからわしらの先祖は随分へりくだって、正岡の機嫌を取ったものさ。正岡もそれを知っておるから、難題を言うて来た。牛をよこせとかな」
「訴えればいいんだ」
「そういう掟なんだ」
「それで、お爺さん達は我慢していたの」
「ああ、三百年以上な。今でこそ、もう農地もなくなったんで、水もいらん。水道があるしな。しかし怨念だけは残った」
「それが、何」
「これは、口で伝え続けられたことでな。当主が跡継ぎだけに伝えるんだ。正岡は敵だとな。いつか痛い目に遭わせてやれと」
「じゃあ、正岡の小ちゃんと喧嘩するの」
「もうそんな必要はないが、先祖代々の怨みじゃ。ずっと正岡には頭が上がらんかった。何処かで仕返ししたい。それを伝え続けておるのだ」
「へー」
「しかし、昔からの農家はもうなくなったしな。村時代からの住民は僅かじゃ。我が家は村長の家系。だからお前に伝えておる」
「うん」
「お前の親父は聞く耳を持たん。物騒な話なのでな。それで、お前に託す。一応伝えたぞ」
「それ、どうするの」
「今度、お前の息子に伝えるんじゃ。孫でもいい。跡取りにな」
「それだけでいいの」
「ああ、もう伝えるだけの意味しかないがな」
「じゃ、正岡の小ちゃんと遊んでもいいの」
「いいよ。もう怨みも何もないから。それに正岡は正岡で、その上手の高橋村に怨みがあるらしい」
「高橋のケンちゃんとも仲良しだよ」
「もう、正岡にも高橋にも頭を下げる必要はないがな。わしも怨みはないが、先祖がなあ。それを思うと、くやしくてくやしくて」
「僕も悔しがった方がいいの」
「年を取ると、そう思うときが来るかもしれんぞ」
「ふーん」
「さあ、わしの役目は終わった。後はお前が引き継ぎなさい」
「次の代に伝えるだけでいいんでしょ」
「まあ、そうじゃ。それだけのことだ。今はな」
「うん」
「ただ」
「何」
「下流の荒俣は新々田でな、あそこはわしらの村に怨みを持っておるはず。気をつけるんじゃ」
「荒俣の利ちゃんともよく遊ぶよ」
「だから、気をつけるんだ」
「ふーん」
 
   了
 


2014年7月17日

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