小説 川崎サイト

 

河童の抜け殻

川崎ゆきお



「夏ですねえ、妖怪博士」
 担当の編集者が博士宅の庭を見ている。南向きのため、暑いので、簾が垂らしてあるため、実際には簾を見ている。夏を感じるのは、その簾だけではなく、蝉の声だ。庭木に蝉が来ているのだろう。
「あの蝉はうちの蝉でな」
「博士の蝉ですか」
「私が所有しておるわけじゃないが、抜け殻があった。だから、庭にいたんだろうねえ」
「それで、出てきたのですね」
「蝉の抜け殻を見て、河童のミイラを思いだしたよ」
「インチキな剥製でしょ」
「そうなんだが、ミイラじゃなく、河童の抜け殻なんじゃ」
「河童は脱皮するのですか」
「河童がいる場所は川縁だろ。蛇もいる。だから、似たようなものかもしれん」
「僕は河童は蛙に近いと」
「蛙も似たような所にいるねえ。川辺だ。私は亀と蛙の掛け合わせだと思う。カッパの甲羅は亀だろ。しかし、クチバシのように尖った口元はアヒル顔なので鴨かもしれん」
「それで、その河童の抜け殻はどうなったのですか」
「紙で出来ていたらしい」
「そんなに持つものですか、油紙のような」
「だから、最近のものだろ」
「今頃、そんな妖怪を作る人がいるんですねえ」
「ミイラじゃなく、最初から張りぼてなんだ。中は出て行ったので、もぬけの殻」
「はい」
「手の指など、そのままでねえ。しかし脱ぎにくかったに違いない」
「河童って、ほぼ人間の体つきですよね」
「だから、抜け殻も無理がある。全身ぴったりの服を脱ぐようなものだからね。個別に破らないとね。だから、それで河童の抜け殻じゃないと、分かったんだが」
「博士、そんなこと想像しなくても、最初から存在しないですよ」
「河童の抜け殻がかね」
「いえ、河童です」
「ああ、河童ねえ」
「いないでしょ」
「それを言えばおしまいじゃないか」
「そうですねえ。妖怪博士の意味もなくなりますよね」
「まあ最初から、なきに等しいが」
「その河童の抜け殻は、その後どうなりました」
「消えた」
「軽いから、飛んでいったのですか」
「ばらけてしまった。かなり乾燥していたし」
「工芸品としての価値があったんじゃないですか」
「紙を貼り重ねて面などを作る」
「ありますねえ」
「所謂張りぼてじゃ」
「ハリーポッターを連想しました」
「ああ、あれも張りぼてだろうねえ。しかし、張りぼては張りぼてで意味がある。使いようじゃ。また、張りぼてでないと困ることがある。中に何も詰まっておらんのが張りぼて、それが役立つこともある」
「張り子の虎なんていいますよ」
「怖くないじゃろ」
「そうです。張り子だと分かれば」
「怖がらせないためには、インチキも必要なんじゃ」
「でも、最初は怖いですよ。虎でしょ」
「しかし、すぐに分かる。指で押すズズッと動いたりする。軽いからな」
「はい」
「その軽さがいい。使いようじゃ」
「すぐに分かる嘘のようなものですか」
「妖怪がそうだな。嘘だと分かるからいいんだ」
「妖怪学の深みですねえ」
「そうじゃない。浅いからいいのじゃよ。深く考える必要がない。そういうものも、必要なんじゃ」
「それより、河童の抜け殻を作った人は見つかりましたか」
「もういないだろう。生きておれば百歳を越えておる」
「ああ、儚いものですねえ。人の寿命も」
「虎は死しても皮残すと言うなあ。しかし、その虎皮も、いつまでも残らん」
「それは寂しい話です」
「この庭の蝉の抜け殻も、風に吹かれて、何処かへ行く。私が踏んでしまうかもしれんしな。ずっとは残らん」
「蝉の状態になってからの寿命は短いと聞いてますよ」
「そうじゃなあ。地中にいるときの方が長いようじゃ」
「何か寂しい話ですよ」
「これをものの哀れと言うのじゃろうなあ」
 二人は蝉の声を聞いている。かなりうるさいのだが、そう感じないのは、あとわずかな命のためかもしれない。
 
   了



2014年7月22日

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