本来の陣
川崎ゆきお
少し前のことで、熱心にやっていたことでも、やめてしまうと、嘘のように消えてしまう。思い出せば、思い出せるのだが、二度とそれをする気や機会がない場合、遠いものとなる。
懐かしく思い出し、またやってみようかと思うこともあるが、なかなか始められない。
倉橋はそういった廃墟、遺跡を多く持っている。人並み以上にいろいろとやってきたからだ。
「整理をしないとなあ」
倉橋は本棚や、引き出しや、押入の中を見たとき、いつも思う。これまでやって来た遺跡が邪魔なのだ。
それをやるときの道具や、コード類。資料として切り抜いたスクラップブック。それはもう完全にゴミと化しているのだが、今度使うとき用に残していたのだ。これを一から集めるとなると大変だ。
「これは何で、中断したのかなあ」
やめた理由さえも忘れている。きっとうまく行かなかったので、途中で尻を割ったのだろう。こういうとき、ワリシン、ワリコーなどの証券物を連想する。
完全に再開することはないと、断定出来れば楽なのだが、もしかしていつかまたやるかもしれないと未練を残すと駄目だ。今まで投げ出したネタに再チャレンジした試しがない。あっても半日ほどだ。
それに比べると、あまり熱心にやって来なかったことの方が長続きしている。今では日常化している。
「これだなあ」
倉橋は悟ったような気になった。
本当にやるべきことは、気合いなど入れなくても、勝手にやっているのだ。深く考えなくても、すっとやっている。すんなりと。だから、決心もいらない。
「これは一番易しいが、一番難しいぞ」
人が見れば、こんなしんどいことをよく続けているなあと思うことだ。本人はしんどくないし、熱心だとも、根気があるとも思っていない。また、それほど好きなことだとも感じていない。
「逆にこれは難解だ」
つまり意識的ではなく、無意識的にやっていることになる。それは意識に上った瞬間、消えてしまうかもしれない。
そのため、倉橋は常日頃からやっていることに気付かない方がいいのだろう。
そして、もうやらなくなった、いろいろなものを捨てる決心をした。もし再開したければ、また一からやればいいのだ。
本来ではないことをする。それは本来を守ることかもしれない。
了
2014年7月24日