小説 川崎サイト

 

裏参道お分かり酒場

川崎ゆきお



 裏参道と呼ばれている飲み屋通りがある。表参道よりも安いわけではない。ただ、目立たない通りで、それなりの店がポツンポツンとある。値段は決して安くはない。そのため勤め帰りの人が毎日のように立ちよるような場所ではない。
「分かってるでしょ」
「何がですか部長」
「みなまで言う必要はないでしょ。それともありますか」
「あの件ですか」
「ほら、分かっているくせに。だから、分かってくださいよ」
「それはどういう意味でしょうか」
「またまた、分かってるくせに」
「はあ」
「ここはちょいと泣いてください」
「ああ」
「またいい目もありますよ。今回だけは泣いてください。以上」
「し、しかし」
「もう、その話はよしましょう。さ、さ、飲んで飲んで」
 柴田は、そういうことかと分かったのだが、一種の圧力だ。便宜を図れと言っているのだろう。
 酒場は薄暗く、テーブルとテーブルの間はかなり離れている。特徴があるとすれば、その程度の飲み屋だ。
 隣のテーブルは角にある。その奥側の椅子に青年が青い顔で座っている。手前にいるのは髪の毛を後ろで括った中年男だが、スーツ姿だ。
「分かってますよね」
「あ、はい」
「言われなくても、そうでしょ」
「あ、はい」
「表向きはどうであれ、そんなことでは進まないのがこの業界ですよね。それも分かっていますよね」
「はい」
「それだけです。他に何も言うことはありません」
「はい」
「まあ、飲んで、私の話も、この地酒もね」
「あ、はい」
 青年は完全にコーナーに追いつめられているようだ。
 その横のテーブルには客がいない。やはり隅や壁際の特に薄暗いテーブルに人気があるようだ。そのテーブルから小さな声が聞こえてくる。
「分かってますやろなあ」
「いえ」
「いやいや、分かってるはずでっせ」
「聞いたことが」
「また、すっとぼけたら困りまんがな。このボンは」
「ぼ、ぼん」
「お坊ちゃまや言うてますのや」
「ああ、はい」
「ここは臭い飯、食べてもらわな困りますのや。分かってまんなあ」
「分かりません」
「嘘も誠もありますかいな。嘘も方便、小便でんがな。ここは、こいてもらわななあ」
「こくって」
「嘘をこいてもらわなあきまへんと言うてますのや」
「嘘を付けということですか」
「またまた、寝ぼけたことを、このボンは」
「しかし」
「分かってますやろ。そういうことやから」
「分かり……」
「続けて、ましたと、言うたらええんや」
「はい」
「常識のないボンやなあ。そんなことも分からんと、この仕事してはるんでっか。それでは社長としては失格でっせ」
「は、はい」
「臭い飯やけど、すぐにおいしいご飯に変わりますから、それまで辛抱しなはれ」
「は、はい」
 さらに、その横のテーブルでも、
「分かってらっしゃいますわよね」
「それは」
「お分かりにならないほど、頭がお悪いのですか」
「いえ」
 さらにその横でも
「分かっておるだろうねえ、君」
 
   了




2014年7月29日

小説 川崎サイト