小説 川崎サイト

 

夏火鉢

川崎ゆきお



「本当に頭の中だけの話なのでしょうか」
 避暑地として知られている温泉場なのだが、冷たければ温泉ではない。冷泉だ。地下水は冷たい。ここの温泉はそれを沸かしているわけではなく、普通に熱い。そのためか、避暑と温泉との相性がやや悪い。逆に暑苦しい場所のように思われる。ただ、標高が少しあるので、里よりも涼しい。特に夜はそうだ。その夜だが、ここ連夜雨が降り続いている。梅雨は明けているのだが、夏の雨が続いているのだ。これだけでも十分涼しい。
 先ほどから幽霊談をやっている二人も、浴衣だけでは寒いようだ。
「夏の雨が続くと、松茸の育ちが良いとか」
「そういう話ではなく、本当に頭の中だけの現象でしょうか」
「幽霊を見る、怪異に遭う。それらは昔から、その説がある。明治頃は神経が流行りましてなあ。神経のなせることとするのが科学的だと言われた。それが続いているのでしょう。まあ、それ以前から、そうではないかと言われておりましたが」
「老翁は、神道の達人」
「いやいや、私がやっておるのはそんなものではない。しかし、それを神道でまとめた方がわかりやすい。道教でもなんでもいいのです」
「神道では仙境があるとか。それも神経のなせる技ですか。頭の中だけにある世界なのですか」
「そこじゃよ」
「そうです。そこです。そこはどうなっているのかを、今夜はお聞きしたい」
「わざわざこんな辺鄙な温泉地に呼び出して、そんな話ですかな」
「はい」
「そういうのをお膳立てというのですよ。これが繁華街のファストフード店じゃだめでしょ。出るものも出ない。実際にはそういうところに出てこそ怖いのです。出るのは決まって寂しい場所。これだけでも、もう十分解答になりますよ」
「だからそういった雰囲気を無視して出るような本物を……」
「頭の中での出来事は個体に依存しております」
「はい、その人にしか分かりません」
「もし、共通するものがあったとすれば、それは共通した頭の中での出来事、神経のなせる技。同種類の精神的な病と言うことにするかどうかです」
「え、よく聞き取れません」
「同じ幻覚を横の人も見ることがあるんです」
「はい」
「これは複数の人間の神経の同じ箇所がお弱いか、お強すぎるかになりますなあ」
「集団催眠のようなものですか」
「集団でパニックになることがあります。この場合、汎用性の高い、つまりいろいろなことが出来る神経系が代用しているのでしょうなあ。それで、見えたように見える。実際には見ていない。しかし、見えたように見えると言うだけで、もうそれは見えたも同じなのです。だから、何人かが同時に同じ幽霊を見ることもあり得ますなあ」
「しかし、それも神経のうちですよね」
「そう取るかどうかは、勝手です」
「じゃ、勝手に、それは本物が出たと取ってもいいのですか」
「いきなりは無理でしょう。やはりお膳立てが必要ですなあ」
「出そうな場だと知っていることですか」
「それは非常に効果があります」
「僕が聞きたいのは、そういう内部ではなく、外部に存在するかどうかなのです」
「外部は内部からしか見えません」
「そこなんですねえ」
「はい、だから、世界はその人の頭の中にあると言ってもいいのです。これは言い過ぎですがね」
「神道ではどうなのです」
「いやいや、私がやっておるのは神道ではありません。まず、あるとしても形がないでしょう。神様には姿はないのです。決まった形はね」
「じゃ、フィギュアには出来ないと」
「フギャギャ」
「人形です」
「そうです。仏像のように形はないのですよね」
「では、神道では幽霊は見えないと」
「はい、任意の形のね」
「それも神経のなせる技でしょうか」
「技と言うより、神経のなせる現象です。しかし、そこが曖昧でしてねえ。形は文化に依存しております」
「はあ?」
「海外へ行けば、違う形になるでしょ」
「あ、はい」
「お経も、念仏も、祈祷も、文化に依存しております」
「結論を急ぎたいのですが、少し、この宿寒いですよ。真夏なのに」
「夏火鉢がいりますなあ」
「それは涼しい火鉢ですか」
「ああ、これも文化風俗に依存しておるのですよ」
「結論をお願いします」
「鬼神を語らず」
「怪力乱神を語らず……孔子ですか」
「生半可に語ってはいかんということじゃよ」
「はあ」
「しかし、神道家のあなたは鬼神を語りっぱなしじゃないですか」
「だから、私は無闇に鬼神を語りすぎているのを反省しておる」
「寒いです」
「終わりますか」
「はい、やはり、よく分かりませんでした」
「さすが温泉場、こういう寒い夏の夜は、温泉がありがたい」
「そういう話でいいのですか」
「こっちとあっち、行ったり来たり。多少はものが見えるようになりますぞ」
「結構です。そういう格言は」
「はいはい」
 二人は、本当に寒くなったので、一緒に露天の温泉に浸かった。
 その姿は二匹の猿のように見えた。
 
   了




2014年7月31日

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