小説 川崎サイト

 

小豆研ぎ

川崎ゆきお



「妖怪博士、今日もまた妖怪の話をお願いします」
 妖怪博士付きの編集者が懲りずに通っている。これといった妖怪談を最近妖怪博士は語っていない。そのため最近は休憩で来ているようなものだ。出版不況と言われているのに、こんな呑気な編集者がいるのも妙だし、そんな余裕のある出版社も妙だ。
 妖怪博士の本はここから出ているのだが、大した売り上げはない。増刷もない。
「そうだなあ、小豆洗いの話でもするか」
「古典ですか。それに」
「何だ」
「一度やったような記憶があるのですが」
「じゃ、小豆研ぎはどうじゃ」
「同じじゃないのですか」
「小豆洗いは小川など水のあるところで、小豆を洗っておる。いわば固定じゃ。小豆研ぎは山に出て、移動しておる」
「あまり変わらないと思いますが」
「米洗いでもいいのじゃが、小豆の方が音が立つ。砂洗いでもいいがそれでは味気ない」
「未だにサクサクとか、ざくざくとかですね」
「なぜ、そんなことをするのかじゃ」
「はい」
「小豆研ぎは警告じゃ」
「ほう」
「小豆洗いは人がいないような川で夜中小豆を洗っておる。ほとんど害はない。これは風情としてみてもよい」
「出かけるタイプの小豆研ぎは違うのですか」
「古い記録や、言い伝えでは山に出るらしい」
「川縁じゃなく」
「まあ、谷川まで降りれば水はあるだろがな」
「さっき、警告と言いましたが、それは渓谷と引っ掛けて」
「引っ掛けん」
「何の警告なんですか」
「深い山に入ったとき、明るいうちに戻れないときは野宿する。そのとき聞こえてくるらしい。ただ、正体を見た者はおらぬ」
「サクサクとか、ザクザクの音だけですか」
「そうじゃな」
「それが警告なのですか」
「ここで野宿、小屋がけしてはいかんとな」
「どうしてですか」
「通り道のためだろう」
「誰の」
「山の神の」
「もうそこで、話が藪の中です」
「軽い警告だな。小豆研ぎは」
「それはどういう意味ですか」
「ここで野宿しない方が好ましい程度だ。少し邪魔ですよ、程度だ」
「しかし、なぜ小豆研ぎなのです。音だけでしょ」
「小豆を洗う音に聞こえるためだろう」
「じゃ、違うもので、そんな音を出しているかもしれませんね」
「そうだな。山の小豆研ぎは見た者はおらん。川の小豆洗いは目撃者がおる。小豆洗いは里に出る。小豆研ぎは深山に出る」
「昔は山は神様の住む場所だったのですよね」
「そうだな。その神様の邪魔をするようなところで、寝ておると、警告される。それだけのことだな。場所を変えればいい。通り道に当たるからだめなんだ」
「神々の通り道なのですか」
「通りの、魔だろうなあ」
「通り魔」
「里の者が通ってはいけない道があるんだ。山道でもな」
「道なんでしょ」
「自然に踏み固められた道で、まあ獣道のようなものじゃ。特に草地では何度も何度も動物が通るので、自然に道のような筋ができておる。それと同じように山の神が何度も通ると山道のように見える」
「博士、それは何処かに書かれていたことですか」
「ああ、そうじゃ。この前そういうのを続けて読んだ」
「はい」
「里の小豆洗いと、山の小豆研ぎ、これは研究材料になる」
「ものすごい細かい話です」
「先ほど警告だと言ったなあ。軽い警告と」
「はい」
「もし、山に詳しい者がそこにいれば、それで引き返すか、場所を変える。その程度じゃ」
「警告の次は何ですか?」
「次は警告と言うより、もっと強い目に出る。その通り道の奥まで行くとな。その場合、普通の森が多い」
「次はどんな目に遭いますか」
「石が飛んでくる」
「攻撃されるわけですか」
「これを天狗のツブテと呼んでおるらしいが、実際には命中せん。威嚇なのでな。人に当たるようには投げんらしい」
「はい」
「大概の者はここで引き返す」
「危ないですからねえ」
「終わり」
「博士、それはないです」
「何が」
「そこまで話したのでしたら、正体を」
「それがよう分からん。何者の仕業かがな」
「山の民じゃないのですか」
「異人種と呼ぶこともあるらしい」
「それが、山の神の正体なのでしょ」
「まあまあ、急ぐな」
「小豆研ぎも、山の民がそんな音を立てていたのでしょ。天狗もそうでしょ。博士はまさか本物の神様が命じて、そんなことをしているとは思っていないでしょうねえ」
「私は妖怪博士だ。山の精、山の気というのがあるような気がする」
「それは妖怪というより精霊ですねえ」
「その気と天狗とは違う」
「山の気ですか」
「一人深山に入り、しばらくその辺りを歩いておると、おかしくなるらしい。だから、猟師などは一人のときは犬を連れたりする。当然踏み込んではいけない場所があり、そこは避けて通る。これは野獣の通り道だからではない」
「博士、そこまで行くとファンタジーですよ」
「そうか」
「森の守り人なんかがいるんでしょ。ここは人が入ってはいけませんよと」
「そうなるのう。しかし、妙な場所があるんじゃ。私も何度か体験した。深山に限らず。そういう場があるんだ。深山幽谷と言うじゃろ。酸素が濃すぎたり、湿気が多いためかもしれん」
「はいはい」
「そうでないと、霊場や霊獣とか、言い出さんだろ。あれはやはり何かあるんじゃ」
「はいはい」
「もういいか」
「博士、悪い本を読みすぎですよ」
「うむ、私もそう思う」
 
   了




2014年8月5日

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