小説 川崎サイト

 

お籠もり堂

川崎ゆきお



「年中いい物を食べ、祭り騒ぎ。これでは逆に退屈するだろう」
「毎日ハレの日のためですか」
「だから、休みの日は、籠もっている方がいい。じっとしておるのがね」
「それはライフスタイルですか」
「いい食べ物も、たまだからいい。お祭りも年に何度かだからいい。ハレが多すぎると疲れるよ。そしてハレがハレではなくなる。ハレの効果はない。あるとすれば、特大のハレだろうねえ。しかし、これもそう多くは作れない。だいいち体が持たん。ずっと躁状態ではな」
「はい」
「猫は雨の日じっとしておる。野良猫だが、軒下で丸く体を固め、じっとしておる。止むまで待っておるのだろう。いつもなら餌を求めてうろうろしたり、縄張りを確認したりと、用事が多いのだがね。雨の日は、じっとだ。ただただ、じっとだ。人もそれが必要なんだね」
「晴れの日は野良に出て、雨の日は部屋に籠もって読書をするとかありましたねえ」
「誰だそれは」
「さあ」
「普通の百姓じゃないだろ」
「さあ」
「そういう日は、じっとしておくのがいいのだ。本などよけいなものを読まなくてもな」
「じっとしているのは大変です。何かネタがないと」
「病気のとき、じっとしているだろ。何かすると疲れるし、体もえらい。ずっと寝てられるわけじゃないから、目だけは開いている。ずっと横になっているのも辛いので、座ってみたりする。雨でも降っておれば、それを見る」
「僕ならテレビを見たり、ラジオを聞きます。音楽を流してもいい」
「それを見たり聞いたりする余裕があればな。しんどいときは、その気にもなれんだろ」
「はい」
「やはり何かやってしまう。雨の日の猫のように、じっとしてられない。あれほどよく動く猫でも、じっとしておるんだ。あのじっとがあるから、動き回れる。まあ、猫は寝ておるときが多い。走らせても長くは走れん。瞬発力はあるがな。あれはやはり休んでいるときのほうが長いからだ」
「猫と人間とは違います。それに、猫のことは猫に聞いてみないと分かりませんよ。長距離を走れる猫もいるかもしれませんし」
「印象を言ったまでだ。喩えだ」
「はい」
「何もしないで、じっとしているのが、いかに難しいかだ」
「そうですねえ」
「それで、このお籠り堂だ」
 それはそこそこ大きなお堂で、町寺の本堂ほどはある。といっても学校の教室一つ分程度だろうか。畳はなく、板敷きで、座布団はある。四方は板戸や壁で、外は見えない。お茶程度は飲める。何かの詰め所のような感じだ。一度入ると出られないわけではない。トイレに立つ必要もあるし、軽く外で体操もできる。だから、軟禁されているわけではなく、本人が自主的に籠もりに来ているだけのことだ。
 禅宗の寺のように座禅もないし、写経もない。寺ではないためだ。食事は精進料理が出る。当然籠もり料がいる。一晩寝ずに籠もるコースもある。ただ、そこでは軽く酒なども出る。別に修行をしているわけではなく、たまには何もしないで、じっとしている時間が必要なのだが、自分ではできないとか、そんな場所に住んでいない人向けのサービスなのだ。
 さすがに自宅で引き籠もっている人は来ない。既に籠もれる場所を持っているためだ。そうではなく、籠もりたくても籠もれない人が、お金を払って来る。ただ、籠もり慣れていないためか、落ち着きがない。
 そこで、ずっと引き籠もっている人を呼んできて、指導員としていた。その指導員が先ほどから喋っている老人で、引き籠もり歴は半端ではない。
 しかし、この老人、引き籠もりが認められたためか、喋りすぎる。これがうるさいという客も多い。
 当然、こういう施設が潰れるのは簡単だ。
 ある日、若い女性グループが来た。それ以後、お堂の中身は変わってしまった。今は何堂と呼んでいいのか、分からなくなっている。
 
   了




2014年8月14日

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