小説 川崎サイト

 

狼男

川崎ゆきお



 台風一過でよく晴れた日だ。
「昨日は大変でしたなあ」
「被害はないが、私には出ていた」
「川の氾濫でも見に行きましたか。それとも用水路の状態なども。夏台風はやっかいですからな。稲の穂がそろそろ出ようというときに、逆に水が入る。これはだめです。用水路に田の水を逆に流すようにしていますがな。そういうのを見に行かれたのかな」
「そこで、怪我をしたわけじゃない。それ以前に、そんな気になれん。田圃より、わしの状態がおかしくなる」
「そういえば、台風が近付くと気が重くなると言ってましたなあ」
「そんな軽いものじゃない。頭が痛くなる程度ならいいが、気が滅入るんだ。体よりも気が重くなる。これは横になっているしかない」
「でも、台風は去ったので、もういいでしょ」
「おかげさんで、しかし昨日は重なった」
「何がですか」
「台風と満月がだ」
「はい」
「満月の日もだめだ。同じ症状になる。昨日は重なって、もう少しで何かになるところだった」
「何になるのですか」
「月の引力を感じる」
「まさか」
「狼男」
「それは違うでしょ。気圧の問題でしょ」
「そこから、プツンといってしまうことがあるんだ」
「いきそうになりましたか」
「産毛が立った」
「髭や、髪の毛は」
「少しボリュームアップだ」
「しかし、それで狼男になった例はないじゃろ」
「まあな」
「あちこちに狼男になった人がうろうろしているはず」
「だから、形じゃない。狼に変身するわけじゃない。気持ちがだ」
「狼男って、強そうですぞ。それに暴れてるイメージもありますなあ。しかし、しんどくて横になっていないとだめなほどでしょ」
「だから、いっそ変身した方が楽になり、元気になる」
「しかし、そのときは狼男になってしまうので、だめでしょ」
「だから、静かにしている。台風や雨もきついが、月もきつい。それが重なることは希だ。曇っておれば月は見えんので気付かんのだがな。怖いのは夜半に雲間から月が出る晩だ。細い月ならいい。満月に近い大きな月が危ない。昨日はそれが重なった。だから、危なかったんだ」
「でも、今朝は大丈夫なんじゃろ。もう回復したのだろ」
「ああ、しばらく、晴れそうなのでな。それに夜は出ないことだ。まだ月が大きい」
「カーテンも閉める必要がありますなあ」
「その通り。わしの親戚で、田圃の水を見に行ったとき」
「はい」
「大雨のときですね」
「そうだ。それを見ているとき、雲間から満月が」
「なりましたか」
「ああ、できあがったらしい」
「その血筋を引いているのですね」
「そうかもしれん」
「その親戚の方はどうされました」
「野犬にかまれたことになった。山犬様の祟りということで終わった」
「そのあと、どうなりました」
「行方不明」
「はい。山犬様に御山へ連れ去られたと、子供の頃に聞いた。実際どうなったのかは、誰も教えてくれないが」
「あるんですねえ、そういう物語が」
「村のはずれに山犬石がある。この村には、何十年かに一人は出るらしい」
「月見などできませんねえ」
「雨が降る前の月見はな」
「はい」
 この語り手、狼男ではなく、狼少年かもしれない。
 
   了


2014年8月16日

小説 川崎サイト