小説 川崎サイト

 

神仏の確認

川崎ゆきお



「お盆は怪しいですねえ」
「どうして」
「だって、先祖の霊が帰ってくるのでしょ。そしたら町中霊だらけだ。生きている人より多いかもしれませんよ」
「見た人はいないだろう」
「そうですねえ。迎え火って、家への目印ですよね。上空から見た場合、迷わないように」
「そうだ。送り火もそうだ。たまに後ろを振り返りながら、ご先祖様は上がって行かれる。迷わないようにな」
「しかし、迎え火だらけ、送り火だらけだと、分からなくなりませんか。降りてくるときも目印ばかりで、どれが自分の家の火か分からないじゃないですか」
「まあ、昔は今ほど住宅が建て込んでいなかったんだろう」
「ご先祖さんが帰られたことはどうやって確認するのですか。まさか姿を現さないでしょ。一番分かりやすいですが、それじゃ子孫を驚かせることになるし」
「決まりがある」
「どんな」
「だから、お盆の準備だよ。仏壇にそれなりの供え物をしたり、行燈を点けたりする。あとはそれぞれの家での決まり事がある。それをしっかりやれば、来られる」
「でも、確認出来ないし、気配もないのでしょ」
「昔の人は準備さえしっかりやれば、百パーセント来られたことにしていた。もし来られていないのなら、準備がまずかったからだ。何か一つ欠けていたとかね」
「それが盆の行事ですか」
「来られる前の行事を滞りなくやること。ミスは許されん」
「でも、来られたことの確認は出来ないのでしょ」
「だから、代わりに行事の段取りを厳しくチェックする。それを確認出来たら、もういいんだ」
「だから、行事は大事なんだ」
「他に確かめようがないからね」
「神様もそうなの」
「ああ、そうだよ。神事も同じだ。お盆より準備が複雑だ。それに何段階もある。また用意するものもかなりある。まあ、神様とご先祖さんとでは違うからねえ。ご先祖様と言っても普通の人だ。神様は最初から神様だ。だから、準備も多い」
「神様と仏様の違いは」
「難しい質問をするでない」
「分からないんだ」
「神社と寺を見比べれば、仏事と神事の違いが分かる。神式と仏式でもよい。違いはそこじゃ。神も仏も確認しようがない。見えんからなあ。見えたら大変なことになる」
「儀式の違いなのか」
「そうじゃ」
「その儀式は誰が言い出したの」
「また、余計なことを言い出すなあ」
「だって」
「神様は、まあ、自然や暮らしぶりと関係するものを用意したんだろう。山の神様なら、おそらくこういうのが好きだろうとか、こういう踊りをお喜びになるとか、こういうものにお降りになるとか、それは誰かがそれとなくやり出して、いつの間にか儀式めいたものになったんだ。面倒なら、省略したりとかな」
「何か、子供のおまじないだね」
「そうだな。呪いだ」
「これが形になり、受け継がれて残っておるんだろ。ただ、アレンジしたり、逆のことを間違ってやっていたりもするだろうが、そういうのはあとでどうとでも言える。決まりが大事なんだ。形式がな。一度決めると、それを守る。馬鹿馬鹿しい動作でもな。順番を間違えると神様は来られない。また喜ばれない」
「喜んでいるかどうかは分からないんでしょ。見えないんだから」
「だから、さっきから言ってるだろ。聞いてないのか」
「何だった」
「日時や道具や順番を間違えず、しっかり用意出来れば、百パーセント大丈夫なんだ」
「間違えたら?」
「失敗じゃ。来られていないし、喜んでおられない」
「じゃ、どうするの」
「誤魔化す」
「え」
「用意出来ていなかった物には代用品を当てたり、順番を間違えれば、そこだけやり直す。要するに、皆で上手くいったと思えればいいんじゃ」
「本当はミスなのに。それは取り返せるわけ?」
「まあ、ミスしたときは、みんなで知らん顔をするのも手じゃ」
「納得出来ないけど」
「それで、家族の結束や、村の結束が図られる。目的はそれかもしれんなあ」
「今は」
「さあ、今は今の神様がいるんだろうなあ」
「神棚や仏壇のない家も多いねえ」
「ああ、そうだなあ。個人ではなく家や村で祭るんだ。そこが今と昔とではちと違う。今は個人ばかりが五月蠅く走っておる」
「個人情報保護法」
「また、余計なことを」
「はい」
「個人の時代になると、神も仏も、ちと遠くなりにけりじゃ」
 
   了



2014年8月21日

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