小説 川崎サイト

 

残暑見舞い

川崎ゆきお



 残暑お見舞い申し上げますとメールが来た。文面はそれだけだ。タイトルも残暑お見舞い申し上げますだ。メールアドレスに見覚えはない。よく知られている通信会社系ではない。そのサーバー名を検索するが、出てこない。単純なアルファベットだ。メールサービスなどとは無関係なところが出る。その後は、そのアルファベットが含まれる文章でかかるのだろうか、英語圏に飛ぶ。いくら奥へ進んでもきりがない。
 大下はホームページやブログ上で、自分のメールアドレスを公開していた。仕事上、連絡して来る不特定多数の人がいるためだ。最近は広告メールしか来なくなったので、削除してもいいと思っている。
 そのメールを受け取ったのは喫茶店だ。ションピングモール内でお盆のお供え物を買った。適当なのがなかった。来るのが遅すぎたのか、安い物は売り切れていた。既にお盆に入っているためだ。野菜を盛り合わせたタイプが残っていた。あまり人気がないのかしれない。あと、残っていたのは果物を盛り合わせたものだ。野菜は煮炊きしないと食べられないが、果物なら食べやすい、リンゴやナシなどが入っている。バナナが一番足が速そうだ。蓮華の花を模した菓子でよかったのだが、なくなっていた。
 これを買った後なので、盆の供物とメールが連動してしまった。しかし文面は残暑見舞いだ。娑婆はまだ暑いだろうと。
「誰だろう」
 妙な引っ掛けメール、釣りメールならホームページのアドレスへのリンクがあったりするものだ。そういうメールは始終来る。しかし、テキスト文字だけの文面なので、あとは真っ白だ。メールの詳細画面を見るが、日時や文字コードなどが何となく分かる程度で、何処を経由して来たかなどは、ネット網の話なので、関心はない。それにそんな知識もない。これが犯罪性の高いものなら別だが、差出人の名前がないし、また心当たりもない。
「そうだろうか」
 差出人のアドレスもアルファベットを並べているだけで、本人を連想するようなものではない。誰かが匿名で残暑見舞いをくれたのだろうか。または、名前を本文中に書き忘れたかだ。
 大下のメールアドレス帳にも、そのメールアドレスは登録されていない。だから、仕事関係や知り合いではない。
「ネット上での知り合い」
 それには心当たりがある。一度か二度、メールのやり取りをした人は数え切れない。仕事ではなくプライベートで。その中の誰かかもしれない。
 しかし大下はネット上だけでの知り合いとメールを取り交わしたことは十年以上ない。そういう知り合いはいるが、メールは使っていない。
 メーラーに古いメールが残っているが、二年前までだ。しばらくは保存するが、その前にパソコンが壊れたとき、メールも消えてしまう。何度かそれがあったため、十年前のメールなど残っていない。
 仕事先のメールアドレスを失い、困ったことになった経験上、パソコン外にバックアップするようになったのは最近のことだ。しかし、不思議とそれら仕事関係者とも疎遠になり、バックアップの必要もなくなっている。
 お盆のお供え物を買った後だけに、真っ先に考えたのが、あちらからのメールだった。果たしてあちらはメールの存在を知っているだろうか。一番新しいご先祖さんは父方の祖父と祖母だ。二人ともメールの存在は知っていた。
 祖父は無理だが、祖母はメールについて聞いていたことがあるし、実際に携帯メールでやり取りをしたこともある。しかし、それならメールアドレスに携帯会社の名前が入るだろう。
 それ以前に祖母が残暑見舞いメールなどしてくるはずはない。あちら側からそんなことをしなくても、お盆なのだから、帰って来ているはずだ。口で言えばいいのだ。逆に怖いが。
 やはり間違いメールかもしれない。または誰かのイタズラだろうか。しかし、残暑お見舞い申し上げます、では何が言いたいのかが分からない。これは目下の人だろう。いや、そうとも限らない。
 こういう見舞いをもらえるのだから、世話になった人ではなく、世話をした人、または何処かの店屋かもしれない。こちらが客なのだ。
 大下はメーラーをスクロールさせ、消していない広告系のメールを見た。毎日のように送られて来る広告メールもある。その中に残暑ではなく暑中見舞いの文面を発見する。ただこれは、文頭での時候の挨拶のようなものだった。
 結局、何故そんなメールが来たのかは分からずじまいだが、お見舞いを受けるのだから、悪いことではない。誰から、が問題だが、それもあちら側の人でもかまわない。ただし、そのあちらという彼岸は、ネットの中の人でもいいだろう。
 その後、大下には特にこれといった災難はない。
 しばらくしての結論だが、誰かがメールを書いている最中に、間違って送信ボタンでも押したのかもしれない。
 
   了




2014年8月22日

小説 川崎サイト