ゴキブリのいない八月
川崎ゆきお
「今年の夏は少しおかしいんだ」
「どうかしましたか」
「ゴキブリがいないんだ」
「それはよかったですねえ」
「毎年出るんだが、いないんだ。いや、一匹か二匹姿を見たが、その後出ない。あれは様子を見に来たのかなあ。その一匹を見た後、いつもなら、一杯いる。台所に入れば、さっと逃げ出すがね。何匹かはいた。流しの下に立て付けの悪い戸があってねえ。物入れだが、その戸の裏に子供のゴキブリがいて、ぞっとしたことがある。使わない食器などを段ボールに入れて突っ込んでる。貰い物の皿とかあるでしょ。使わないような大皿。そんなものも突っ込んでる。普段は開けない。だから、そこが巣になってるんだ。ところが、今年はいない」
「それが異変ですか」
「ゴキブリの嫌がるような天敵がいるのかと思ったのだが、何かよく分からん。天敵は人かもしれんしね」
「はい」
「毎年ゴキブリを見かけていたので、見なくなると、おかしいと思うだろ」
「よかったと思いますよ」
「去年、いや、その前の年かな。ゴキブリ退治が面倒だし、叩くと潰れるので、汚い。それで、ゴキブリ取りを仕掛けたんだ。小さな丸い樹脂製の固まりでね。腕時計の盤ほどの大きさだ。少し透き間が空いていて、そこから何かが出るんだろうねえ。電気は使わない。それを方々に仕掛けたよ。これに近付いても、死なない。しかし、しばらくしてから死ぬらしい。それに感染するようで、巣に戻って仲間に移したりするようだ。これは効いたなあ。それで見かけなくなった。しかし、流し台の下を覗いたけど、死骸はない。巣は別のところにあったんだろうねえ。いくら探しても、ゴキブリの死骸はない。床下かもしれないねえ」
「じゃ、そのゴキブリ退治の仕掛けが効いたので、ゴキブリは懲りて二度と来ないのかもしれませんよ」
「それを仕掛けたのは二年前だ。もう効き目はないはずだ。まだ、その辺に地雷のように転がっているがね」
「じゃ、学習したのでしょ」
「それとだ」
「まだ、ゴキブリの話、続きますか」
「蚊だ」
「今度は蚊取りの話ですか」
「いや、何もしていないのに、今年は少ない。台所には相変わらず多いがね。特に三角の、あのコーナーの奧、あれの中だ。卵の殻とか捨てるだろ」
「はいはい」
「そこにいる蚊は、いつものようにいるが、刺しに来る蚊が減った。激変だ」
「はい」
「寝る前、耳元でうるさくてねえ。はたいてやろうと、耳をはたいてしまい、しばらく耳がじーんと鳴っていたよ」
「はい」
「しかし、今年は滅多に飛んで来ないんだ。場所は決まっている。私がいつも座っている場所だ。そこに座った瞬間に刺される。待ち伏せしているんだ。私は餌だね」
「その蚊も減ったと?」
「半分以下、いや、それ以下だ。毎年足や腕に赤いのがつく。刺された跡だ。それが一割ほどになってる。刺されることは刺されるが、激減だよ」
「はい」
「どう思う?」
「よかったですねえ」
「家の前の環境は変わっておらん。庭に雑草が生えておるが、毎年のことだ」
「はあ」
「異変が起こるんじゃないのかね」
「まさに虫の知らせですね」
「そうだろ」
「まだ、夏は終わってませんよ」
「そうだろ。この後、何か異変が起きそうだ」
「その他、変わったことは」
「うちにはネズミは出ない。しかし、見かけた」
「はあ」
「ドブネズミだ。さすがにネズミが入るほどぼろ屋じゃない。流しの管から上がってきたんだろうねえ」
「そのネズミ、どうなりました」
「三日ほど、気配がしていたが、消えた」
「じゃ、また、下水管から逃げたのでしょ」
「ゴキブリが消え、ネズミが出た。しかし、すぐにいなくなった」
「はい」
「ネズミも逃げ出したんだ」
「大丈夫ですか」
「どちらがだ?」
「ああ、あなたのことじゃなく、異変の方です」
「私が異変を起こしたと言いたいんだろ」
「違います」
「それならいいんだが」
異変というのは分からないところで起こっていることがある。影響がなければ、気にもしない。しかし、何処かで起こっているのだろう。
了
2014年8月31日