小説 川崎サイト

 

地道にコツコツ

川崎ゆきお



 地道にコツコツとやっていた人が最期には勝つ。という話もある。ただ、その場合、レベルが下がったからではないかと思える節がある。勝利ラインがだ。また、強いライバルが次々に倒れることもある。生き残っただけなのかもしれないが、その間、じっと辛抱してコツコツとやり続けるのは苦しいだろう。諦めなかったから勝ったというのもあるが、使われすぎている。あるレベルでの戦いの場合、誰も諦めなどしないだろう。練習を全くしないで試合に出るスポーツ競技も、今はないはずだ。
 しかし、本当に地道にコツコツというのは野心家にはできない。よほど元気のない人か、そういうコツコツ行為が好きな人なのだ。コツコツが好きなのは、同じようなことをずっとやるのが好きな人かもしれない。コツコツなので、大きな変化はない。コツコツ、ボツボツだ。そして歩みも遅そうで、成果がすぐに出ない。ところが、このコツコツは、コツコツが楽しいのかもしれない。または、他にやることがないか、できそうなことが、地味なことしかないかだ。本当はもっと派手な展開を望んでいたのかもしれない。
 つまり、手がないので、コツコツやる。という感じだろうか。
 同じ繰り返しを機械的にやるのを好む人がいる。不思議と飽きないで、その繰り返しを楽しんでいるのだ。これは無限ループに入ってしまい、そこで恍惚状態になっているわけではないが、それに近い酔いがあるのだろう。頭の中で、そういう快感の汁でも出るのだろうか。
 精神的には、そういうことをやっていることが安定に繋がり、将来にも繋がるとなると、安心してコツコツに没頭できる。
 そのため、地道にコツコツにも色々ある。
「僕も地道にコツコツと畑を耕したいんだが、耕す畑がない。ネタがなくてねえ」
「地味な仕事なら、いくらでもありますよ」
「最近は機械がやっているからねえ。減ったよ」
「地道にコツコツって、どんな感じですか」
「のんびりと、ゆっくりだよ。それこそ地面を這うように一歩一歩。ところが最近のコツコツ仕事はキツツキのように忙しい。一人じゃできないほどだ。これでは畑に鍬をゆっくり入れるような雰囲気じゃない。まあ、そんなゆっくりさんでは使い物にならないけどね」
「じゃ、意外と地道にコツコツって、あるようでないのですね」
「そうだね。そんなことができる人は幸せ者だ。よほど環境がいいか、恵まれた人なんだ」
「挽き臼があるでしょ」
「はあ?」
「ああ、いきなりすみません。臼です。豆なんかをすりつぶしたり、薬を作るとき使うような。粉を作る石臼です」
「ああ、見たことがあるよ。昔の映画で、老婆が臼をまわしているのを」
「ああいうのがいいんでしょ」
「そうだねえ。婆さんでもできる軽作業で、豆が粉になっていくのを見る楽しみもあるしねえ」
「これがジューサーやミキサーになってしまうと、地味にコツコツ感がなくなるでしょ」
「いやだねえ、あの機械。後始末が大変だ。洗わないといけないからねえ。作っているときは瞬時で楽だけど、実際に時間を取られるのは洗い物だよ。しかし、洗い物も悪くはないよ。ただ、洗い物ばかりをやるのならね」
「家事なんてどうでしょ、部屋の掃除なんて」
「まずは掃除機の掃除から始めないといけないから、それがたいそうでねえ。うまく外せないんだ。仕掛けが分からない。ゴミが溜まるあの容器のようなやつ。あれが本体から外れないのですよ」
「説明書があるでしょ」
「ああ、見たけど、よく分からん」
「まあ、適当に触っていると外れますよ」
「やはり、箒や雑巾がいい。そちらの方が地道にコツコツと掃除をしている気になる。まるで修行しているようにね」
「お寺の雑巾かけのようなものですか」
「そうそう。ああいう感じに持ち込まないと。修行の一環だよ」
「そうなると、地道にコツコツやっていれば、何とかなるというような条件は少ないですねえ。何でもいいのなら色々ありますが、それさえやっていれば、食いっぱぐれないとか、やればやるほど生活が安定するとかの条件を付ければ、ないですねえ。簡単そうで」
「そうだろ。だから、地道にコツコツをしたいんだけど、ないんだよ。困った話だ」
「一番ありふれているものだと思っていましたが」
「珍しいんだよ。特権階級向けだよ」
「石臼をまわして豆をつぶしているお婆さんがですか」
「そうだねえ。今じゃ希少価値だ」
 地道にコツコツ、ありそうでなかったりするようだ。
 
   了


2014年9月4日

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