小説 川崎サイト

 

蛇神

川崎ゆきお



 夏の長雨が続いていた。妖怪博士は見るとも見ないとも分からないような目つきで庭にできた水たまりに落ちる雨を見ている。実際には見ていない。ピントが何処にも合っていないのだ。ぼんやりとしているとき、たまにこれが起こる。しかし、それでも見えている。だが、しっかりとは見る気がないのか、あえてピントを合わそうとしない。目の筋肉を使うほどのことではないからだ。
「雨の神様は雨を降らすのでしょうねえ」
 妖怪博士付きの編集者が訊ねるが、妖怪博士は聞いていない。聞こえているのだが、聞くほどのことではないのだ。それにこの編集者、大した用事で来ているわけではない。取材だと嘘を付いて、さぼりに来ているのだ。
「雨乞いの神様は聞いたことがありますが、長雨を止めてくれる神様はいないのでしょうか」
 返答はない。
「博士」
「ああ、聞いておるが、だるい話だなあ」
「博士はそれの専門家でしょ」
「全体がだるい。湿気のためだろ。今頃は秋のさわやかな風に吹かれておる時期。それに澄んだ青空、からっとした日本晴れ、ところがどうじゃ、この長雨は。これでは調子が狂い、身も心もだるくなる。そんなとき、雨を止めてくれる神様か」
「はい」
「水神様じゃないのかな」
「水道でいえば、出すのも止めるのも同じ蛇口だという意味ですね」
「水神様は龍神、これは蛇だな。だから、蛇口だ」
「では、蛇神様に頼めばいいのですね」
「だから、そう思うのなら、行って頼んで来なさい。水天宮でもいい」
 妖怪博士は天候不順になると話が粗くなるようだ。
「今日はご機嫌斜めですねえ。博士」
「蛇は川でもある。川が蛇なのか、蛇が川なのか、分からん。ただ、私の専門は神様ではなく妖怪変化、物の怪だ。だから、神々のことはよう知らん」
「妖怪も神も減りましたねえ。あまり活躍していません。このあたりはどうですか」
「蛇も見かけんようになった。縁の下などにいたのだがなあ。蛇の不気味さは、急に日常の中で接触することだ。そうでないと畏怖にはならん。人が蛇になったとか、蛇が人間に化けて、などもな。蛇そのものを知っておらんと効き目がない。だから、蛇を見かけんようになってから、効果がなくなったのだろう」
「日本じゃ、龍ではなく、やはりふつうの蛇ですねえ。ドラゴンじゃなく、ただの大蛇。これは大きくしただけのことでしょ」
「八岐大蛇は頭が多い。また蛇女、蛇姫伝説もある」
「姫ですか」
「蛇が姫を守るのじゃ」
「それはいいですねえ。犬が守れば里見八犬伝ですねえ」
「しかし、蛇も犬も、約束を違えば、怖いことになる」
「あれは中国の話なんでしょ」
「いや、蛇や犬はいくらでもおる。だから、似たような話ができても不思議ではない。要は解釈の違いだ。別の国へ行けば、蛇の扱いも違うだろう」
「長いものには巻かれろというのも、蛇に巻かれろということでしょうか」
「そんなこと、私は知らん」
「蛇がとぐろを巻いている姿は、やはりふてぶてしいです。長いものにはそういう意味合いがあるのでは」
「君は湿気に強いのか。頭が元気じゃないか」
「ああ、あまり関係ありません。雨でも晴れていても」
「そうか、私は雨の日は気持ちも沈み、じとじとする。こういう日はろくなことがないので、静かにしておる。何をやってもうまくいかん」
「しかし、この長雨、何か変ですねえ」
「たまにはそういう年があるんだ」
「そうですねえ」
 話が途切れとき、妖怪博士はまた水たまりに目を移した。そして、見るともなく見ないともなく、ピントを合わせない状態に入った。そのとき、水たまりに線が横に走った。
「君」
「何ですか、博士」
「見たまえ」
「蛇」
「いたんだ」
 妖怪博士の目のピントがしっかりと蛇を捕らえた。
「ミミズですよ、長雨で、大きく膨れたのでしょう」
「そうか」
 妖怪博士は再び、ピントを甘くした。
 
   了


2014年9月5日

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