小説 川崎サイト

 

レアメタル巡礼

川崎ゆきお



 忘れていたイメージがある。それは現実に見たものではなく、想像したイメージだ。イメージとは映像や音などの感覚物なのだが、古い物になると、実際にあったことも、単なる想像や錯覚でも、同じようにイメージとして残る。
 実際に見たものをそのまま覚えているわけではない。そんな記憶量は脳にはないだろう。どこかで圧縮したり、省略したりしている。しかしそんな形で、パソコンなどのハードデスクや記憶装置のようにファイル化されているとは思えない。古い記憶の中の風景は、その都度書き出されるのではないだろうか。
 さて、三村はそんな難しい話ではなく、昔、想像していたものをかなり忘れていた。現実に体験したわけではないので、記録しようがない。いちいちメモったりスケッチとして残すようなものではない。
 それならまだ具体性がある記憶なのだが、そのとき浮かんでいたイメージに関しては、最初からないものなのだから、思い出すのも苦労する。イメージと言うより印象だろうか。心象と言うほど大げさなものではない。
 心象風景というのがある。これは、その人独自の繰り出し方であぶり出されたものだろう。あぶり出す気はないのに出てきてしまったようなものだ。
 その場合も、現実が先にある。ところが想像していたもの、漠然とイメージとして描いてしまったものは曖昧すぎる。言語化できないため、因果関係で結び付けられず、論理的に繋いだり辿ったりもできない。当然、説明しにくい。
 さて、三村が思い出そうとしていたのは、昔、抱いていたイメージだ。または、昔、想像したり、思い浮かべていた世界だ。この世界は現実とはまた違う。想像なのだから。
 つまり、何かを勝手に思い巡らせていたのだ。ついた嘘を思い出すようなものかもしれない。これはファイルで言えば、ただのデータファイルではなく、実行ファイルの場合もある。つまり、プログラムファイルなのだ。そのファイルを開けても呪文しか見えない。それ以前にファイルとして見える形に変換しないといけないが。
 要は三村が思い出そうとしているのは、写真などのファイルではなく、観賞用の動画でもなく、実行ファイルだった。古いエンジン、何かのためにだけ作られたエンジンかもしれない。機械なのだ。
 機械を見ていても何も起こらないが、昔、想像していたもの、やりかけていたものなどには動きがある。アニメのような動画ではなく、本人の行動が伴う動きだ。
「何かをやろうとしていた」
 三村はその断片のような物をイメージとして思い出したのだ。
「こういうのがもっとあったはずだ」
 しかし、すぐには思い出せない。これは何かのきっかけで、動き出すようだ。バッチファイルのスイッチが押されたように。
 それは冬物衣料を見ていて、肌着コーナーで、パッチのようなものを見たときだった。非常に保温性のよいズボン下だ。さすがにパンツは生地的に無理があるので、パッチだろう。そのパッチを見て、バッチをはくという言葉を思い出したのだ。バッチをはかせるなどもある。
「ファイルのダンプもあった」
 それに関するイメージは、女子プロレスラーのダンプ松本だった。さあ、これからファイルのダンプ松本をするぞ、などと言っていた。
 そういう饒舌を楽しんでいるわけではない。それらのイメージに、さらにイメージがくっついているのだ。それを探していけば、何年、何十年前の雰囲気が蘇る。ここに何かお宝が残っていないかと、探しているのだ。
 しかし、昔の実行ファイルは、もう今では動かない。そのため、イメージだけを抽出して、レアメタルのように集める程度だ。これが貴重なタネになるかもしれない。
 ただ、そういうことをやっていると、以前に想像していたこと、空想していたこと、思い描いていたことが懐かしく感じられ、ただの懐古趣味になってしまうことが多い。
 三村はこれを遺跡巡り、都市鉱山巡りと呼んでいる。ただ、たまにそういう巡礼をすると、今が今としてどう存在しているのかが、少しは納得できるようだ。
 
   了



2014年9月10日

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