小説 川崎サイト

 

抜き天

川崎ゆきお



 青い空に白い雲。その日、久しぶりに晴れていた。上田は窓からそれを見ている。曇っている日はあまり見ない。やはり青地が効いているのだろうか。既に秋なので日差しも弱まり、白い雲も眩しくない。そして、平らで小さな秋の雲だ。
 こんな日は外に出て空見物に行くのもいいが、空というのは「くう」と読み、何もないような空間なのだ。鳥や飛行機が飛んでいるかもしれないが、田圃も建物も、山もない。空中のためだ。ただ、雲だけは存在感がある。長年それを見ているので、空に雲は付き物で、ないときは雲一つない晴天だが、こんな日は年に何度もない。
 青空見物など聞いたことがない。朝日や夕日は拝む人もおり、またそれらは見るに値するほどの景色だ。空には雲しかないと言っていたが、太陽や月もある。昼間に月を見るのは希で、出ていても目立たない。朝焼け夕焼けは動画に近い。光源が動くため、刻一刻変化する。そのため、絵が違ってくる。色も。だから、これは見物だ。ただ、青空だけを見に行くというのは、行事としてはどうだろう。派手な入道雲などが沸いていると、その形が人に見えたり、動物や何かのキャラに見えたりするため、これも見るに値する。だが、平凡な雲が浮いているだけの青空は地味だ。空の地を見ているようなものだ。
 上田は窓からそれを見ているのだが、もう見たので、それで十分で、青空見物などする必要はない。近所の人が、今日はよく晴れているので、皆で青空現物に出かけましょう……となっていれば別だが、そんなことは子供の頃からなかった。やはり空だけではだめで、山の紅葉とか、前面に来るものが必要だ。青空は背景なのだ。
 それに出かけたとしても、すぐに飽きるだろう。一度見れば、それでいい。
 と言ってる間に、雲の形が変わってきた。平たい雲が上品に浮いていたのだが、それが流れ出し、真っ白から少し灰をかぶり始めた。
「台風か」
 テレビで熱帯低気圧が台風に変わったと言っていた。長雨が続いていた秋の始め、やっと晴れたのだが、台風で、またこの青空もしばらくお目にかかれない。
 小さな雲ならいいが、雲が空全体を覆うと、これは天井のように蓋をされたようなものだ。抜けるような青空は、やはり抜けがいい。上にもう何もないためだ。
「抜き天がよかったのかもしれない」
 しかし、どこかの動画サイトを浮かべてしまい、別の言い回しを考えた。
 
   了


 


2014年9月16日

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