小説 川崎サイト

 

坂の上の古い町

川崎ゆきお



 夜明けが遅くなる季節だった。高見は自転車で駅前の喫茶店へ毎朝通っている。久しぶりに晴れており、朝日が眩しい。
「こんなに低かったかなあ」
 日は出て間もないためか、真横から光線が来る。ブロック塀が真正面から光線を受け、ブツブツの質感までよく見える。冬ならまだ暗い時間だ。やがて駅へ向かう道も暗くなる。
 高見は急激に日が短くなっているのを感じた。毎朝見ているようでも、雨や曇りで太陽そのものを見ていないためだ。しかし、前回見たときよりも日に当たっている箇所が少ない。二階の窓の下まで照らされていたのに、今は窓の上から屋根にかけてのみ。
「日当たりが少ない」
 と、思いながらも駅前に出るが、さらに人も少ない。通勤客が少ないのだ。
「土曜のためだな」
 駅前に着き、喫茶店のある筋に入るとき、若者が路面で寝ていた。さすがに地べたの横になるわけにはいかないのか、一人がべったりと座り、その太股あたりに、もう一人が頭と胸を乗せている。もう一人はその横で猫のように丸く座ったまま寝ている。既に始発は出ているのだが、動こうとしない。土曜の朝なので、そういうこともあるのだろうが、滅多に見ない。何か駅前が荒れているような印象を受ける。
 駅前の歩道に見張りが立つ。自転車の不法放置を止めるためだ。
「土日は休むのだろうか、あの人達も」
 今朝は見かけないのだ。高見は歩道ではなく、喫茶店の敷地内に止めるため、見張りの存在は気にならない。だから、毎朝注意して見ていないだけなのかもしれない。
 喫茶店前に到着するが、シャッターが閉まっている。ここでやっと高見は分かった。一時間出るのを間違えたのだ。この一時間のずれを知らせてくれる風景と何度も遭遇した。日差しがそうだ。人通りが少ないこと。また、いつもすれ違う猫を見ていない。この猫は真っ白で、同じ時間に同じ道の端を歩いている。尻尾を竿のように立てているが、急いではいない。猫様のお通りのように、堂々としている。人が近付いても逃げないが、愛想は悪い。この猫を今朝は見なかった。一時間ずれているためだ。起きたとき、短針の針を一つ見間違えたのだ。
 駅前で早朝から開いている喫茶店は数軒あるが、馴染みがないため、入れない。ファストフード店はあるが煙草が吸えない。
 もう一度出直すわけにもいかないので、少し遠いが駅はずれの旧市街に向かうことにした。そこに国道が走っており、その道沿いだけは店屋が並んでいる。その中にファミレスがある。そこなら開いているし、一見さんでも入りやすい。
 高見は駅前のバスターミナルを突き抜け、もう廃墟のようになった商店街を抜けた。そこから先は古い町並みが少しだけ残っている。
 高見はたまに散歩でこの辺りまで来ることはあるが、何となく人を寄せ付けないような空気がある。その違和感の理由は、農村時代の何かだ。
 駅があるところは昔の城下町で、今、高見が入り込んでいる町は、大きな村だったようだ。城下から一番近い大きな村。そのためか、旧家の建物が残り、保存云々のパネルが貼られている。
 しかし、今は住宅地となっているため、村の面影と言えば、くねくねとした小道程度。大きな道が一本も走っていないのだ。
 その小道の一本を、高見は自転車で走っているのだが、坂道だ。どの道も国道へ出る道は、すべて坂道。だから、あまり来たくない町になっていた。国道の向こうは川が山沿いを流れている。行く用事がないのだ。国道へ出る以外に。
 高見はその坂道が意外と長いことに気付いた。もう登り切っているはずなのだ。前回行ったときは、こんなに長くは続かなかった。
 太股が鈍くなり、息も激しくなる。そして一方通行のくねくねした道の両側がどんどん古くなってゆく。藁葺き屋根の農家、石を積んだだけの塀。崩れかかったまま放置されている寺の山門。
 もう、そんな風景は現実のものではない。そして坂も終わらない。
 
   了



2014年9月21日

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