小説 川崎サイト

 

赤い花なら曼珠沙華

川崎ゆきお



 彼岸花、曼珠沙華とも言う。これは赤信号だ。
 三村は長い夏休みを送っていた。そして蟻とキリギリス状態を毎年送っている。イソップの教訓を毎年生かせていなかった。
 部屋に蟻がいた、一匹か二匹ではなく、その気になって探すと何匹もいる。ここで潰すと絨毯が汚れる。しかし、蟻は小さ過ぎて、意外と汚い潰れ方をしない。指で押さえると絨毯の毛がクッションになるのか、まだまだ動いている。強い目に押してから擦ると動かなくなる。ばらけないでいい。あとで掃除機で吸い取ればいい。その蟻は食べ残しを運んでいるのだろう。小さなテーブルがあり、そこで三村は食事をとる。座布団の上に正座して。
 蟻が入り込むほど掃除機を長く使っていない。正座する姿勢はいいが、それは胃腸のことを考えてのことで、しっかりと喉から胃へ通すためだ。
 これはドラマで見た記憶を引き継いでいる。貧しい武士の家だが、家族は正座して食べていた。これはいい感じだと三村は感じ、その後、正座して食べることにした。テーブルは同じ長方形の板切れだけで組み立てたような粗末なもので、お膳に近いが、踏み台にもなる。日用雑貨の店で大量に売られていた。安いので買っている。それが時代劇に出て来るようなお膳に偶然似ていた。高さは少し高いが。そして、正座した膝辺りに茶碗を構え、下を向き、黙々と食べる。
 そういう姿勢はいいのだが、生活の姿勢はぞんざいだった。そして蟻を見たとき、夏場よく働いた蟻は豊かな冬を過ごすが、夏場遊んでいたキリギリスは冬になると苦しくなる。三村がその状態なのだ。夏は暑いので夏休みと、毎年何もしていない。当然収入が伴わないため、秋になると苦しくなる。
 部屋の中にいた蟻は、食べ残しを掃除し終えたわけではないが、涼しくなると出てこなくなった。それなら蟻の虐殺などしなくてもよかったのだ。可哀想なことをしたと、三村は思った。そういう思いはいいのだが、怠けたいと思う思いの方が多いのには苦労しているようだ。蟻は怨んで、もう食料を分けてくれないかもしれない。
 さて、それで曼珠沙華だ。つまり、曼珠沙華はいきなり咲いている。何もなかったところに、いきなりにょきっと茎を伸ばし、咲いている。真っ赤な曼珠沙華を見ると、それを信号だと受け取るのは、もう危険な状態なので、何かしないと駄目ですよ。もう暑くはないので、できるでしょ。と警告してくれているのだ。
 曼珠沙華は天空に咲く花だと言われている。だから天からのお告げなのだ。
 有り難いお知らせの花だが、三村にとり、不吉な花なのだ。これを見ると気が滅入る。また夏が終わったことも寂しい。
 そして、毎年、この時期から尻に火が付いたように動くことになる。キリギリスは蟻のところで餌をわけてもらうが、虐殺したことが気になる。
 そう思いながらも、今日も昼間から自転車で近所をウロウロしている。脇に咲く曼珠沙華の赤信号の点滅を見ながら。
 
   了


 


2014年9月26日

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