小説 川崎サイト

 

老人ハイカー

川崎ゆきお



 ある秋晴れの日曜の朝、作田は朝食のサンドイッチと牛乳をコンビニで買い、戻ってくるところだった。家の前まで来たとき、近所の老人が赤いジャンパーに青いリュックを背負い、歩いていた。この老人は作田より遙かに年上だ。
 その老人は近場なら自転車を使う。軽い散歩なら徒歩だ。今朝はリュックを背負っての徒歩。これはハイキングだと作田は見た。向かっている方角に駅がある。
 作田はそれで久しく忘れていたハイキングを思い出した。昔はよく山へ行っていた。
 家の前から山が見えたが、今はマンションが邪魔をしてよく見えない。しかし、コンビニへ行く道筋からは見えている。うっすらと山の輪郭が見えており、これは昔と形は変わっていないのだが、そんな確認はしたことがない。つまり、見えていても見ていない。山のことなどすっかり忘れていたのだ。ただ、真っ直ぐな道を自転車で走っているとき、山が壁のようにあるのは見えているのだが、空も山も意識としては変わらない。背景のまた背景だ。
 あの老人、電車で山のある駅まで行き、そこから登り出すのだろう。この辺りの山を作田は知り尽くしている。毎週のように登っていたので。
 山登りは頂上へ向かうだけではない。いろいろなコースがある。山頂近くを回り込んだり、別の山塊を伝ったり、また降りて沢道に出たりとか、いろいろだ。それをハイキングコースと呼び、ハイキング地図に詳しく載っている。
 作田が持っていたハイキング地図はもう何十年も前のガイドブックなので、様子が違っているに違いない。
 そのガイドにも載っていないような山道を作田は知っている。道とは言えないようなケモノミチのようなものだが、この近くには猪程度しかいない。だから、山仕事の人が付けたような道なのだ。さすがにここまでガイドには載っていない。
 あれほどよく山へ行っていたのに、どうして行かなくなったのだろうと作田は考えた。
「特に理由はない」
 しかし、旅行に出たときは、結構山をよく歩いている。山寺などでは奥の院があり、これはもうハイキングに近い距離がある。そんなとき積極的に歩いている。始めて足を踏み入れる山道がいいのかもしれない。山道の先は未知で、それが楽しい。
「そう言うことかもしれない」と、作田は納得した。
 近所の老人はまだこの辺りの山が新鮮なのかもしれない。幼馴染みというより年が離れすぎているため、付き合いはなかったが、山へよく行っているという噂は聞かなかった。またそういう服装で出掛けるところも見たことがない。
 しかし、山歩きをしていた作田がもう行かなくなり、あまり山好きだったとは思えない人がリュックを背負っている。
 そして、今ではこの老人の方が山には詳しくなっているだろう。
「また行ってみようか」と、作田は思った。
 
   了


 


2014年9月27日

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