小説 川崎サイト

 

萩の宿

川崎ゆきお



 古本屋の娘はもう老婆になり、店も駅前開発で駅ビルに隣接するショッピングビルに移転した。この古本屋、以前はごみ屋のように散らかり、コンクリートの床から積み上げた本は、下の方は取ることもできない。さすがに高価な定番のような古書はレジ前やその後ろに並んでいるが、買う人は希だ。これは業者が買うのだろう。そして、この店の財産ではあるが、他の古書店でもあるような本だ。
 今はさすがに小綺麗なビル内にテナントとして入っているため、あまり小汚い真似はできない。本も整理され、良いものしか運んでこなかったようだ。もう苦学生が難しい本を買いに来る時代ではない。
 この店は別名萩野文庫と呼ばれていた。ある意味有名な店で、俳諧の連、つまり同人会の本部だった。しかし、それは父親の代までで、娘は少しは引き継いだが、もう老婆になり、俳句の同人もいなくなっている。
 前置きが長いが、本題はその同人誌のバックナンバー。薄い冊子だが、何十年も続いてていたらしい。同人以外にも買えるよう萩野文庫に置かれていた。当然買うような人はいないのだが、吉田という学生が、その一冊を買っている。その中の句が、本題だ。
 旧城下町近くの旧村に萩の宿があったらしい。薄赤い小さな花がスポンジのようにふんわりと集まって咲いている。一応木だろう。萩の寺として有名な寺もあるので、萩の宿があってもおかしくはない。
 その萩の宿がこの近くにあるのだ。句に解説があり、城下はずれの村。そこに萩の宿があるという。
 吉田は暇なので見に行ったのだが、そんな宿屋はない。旅館そのものがない。家は建ち並んでいるが、古い家は寺か農家ぐらいだ。しかし、とても農家とは思えないような立派な旧家がある。この辺りは大きな街道が通っていたので、参勤交代のときの陣屋として使っていたのかもしれない。しかし、それなら萩の宿ではなく、萩の陣屋だろう。
 庄屋か何か分からないが、古く大きな屋敷が何軒かある。その句は宿で遊女達と雑魚寝したとなっている。当然近くに遊郭はない。宿場女郎でもいたのだろうか。ただ、荻野村は宿場町ではない。城下には町屋が多くあり、旅籠もあった。ただ、遊郭はなかったようだ。また、幕府の直轄地だったので、代官がいた程度だ。城下跡は戦国時代のもので、江戸時代にはない。そのため、城下は町人の町で、武家屋敷は痕跡さえ残っていない。
 吉田はデリヘルではないかと想像した。少し遠いが遊郭がある。そこから出店で来ていたのかもしれない。句では月の綺麗な夜、遊女も庭に咲く萩も月の光に照らされ、宴の後の静まりを詠んだとなっている。
 吉田は農家のような家の土塀から萩が咲いているのを見る。その季節なのだ。農家ではなく豪商でも住んでいたのだろうか。長者屋敷だろうか。等々と想像した。
 そんな妄想に耽っていても仕方がないと思い、吉田は萩野文庫を数日後に訪れた。綺麗なビルに入っているが、老いた娘が真っ白な髪の毛を長くのばし、砂かけ婆のようだ。面長で目が飛び出ている。その大きな目玉は常に細いままなのは、視力が弱いためだろう。
「この句ですか?」老婆は目を近付け、糸のように細くして同人誌を見ている。父親は有名な俳人だったらしい。古本屋は嫁に任せ、嫁は今度は娘に任せた。古書店としては素人よりもひどい店構えだったようだ。
「お母さんに聞けば分かるんですが、病んでましてねえ。この俳人さん、青成瓢さんですね。知ってますよ。剽軽な人です」
「そのままですねえ。だから青成剽」
「いえいえ、人生劇場ですよ」
「はあ?」
「青成瓢吉を捩っているんです」
 吉田は、その小説を知っているが、読んだことはない。
「それで、萩の宿ですが」
「ああ、これはコピーですよ」
「コピー」
 一家(ひとつや)に遊女も寝たり萩と月
「芭蕉です」
「じゃ、盗作じゃないですか」
「さあ、これを載せるかどうかで、もめていましたねえ。私はお茶を出すだけの役目だったんですけど、覚えています。ここまであからさまだと萩野文庫の品を落とすとか、何とか」
「でも、萩の宿は?」
「ああ、それもあるんです」
「萩の宿も問題なんですか」
「萩野は地名です。それは実在しています」
「知ってます。城下近くの村でしょ。そこに本当に宿屋があったのかどうか知りたいのです」
「さあ、青成瓢さんは萩野の人ですよ。そんな名前じゃなく、合田が本命ですがね」
「よく覚えてられますねえ」
「女学生の頃です。かわいがってもらいましたよ。少し助さん角さんですが」
「水戸黄門ですか」
「そのお供の二人の一方が」
「ああ、助さんで、助平」
「はいはい」
「だから、遊女の句が気に入ったのですね。芭蕉の」
「だと思いますが、萩野村にも来ていたようですよ。定宿がありました。ふつうの家です」
「古い家が何軒もありますが、その中の」
「この地方の豪族ですよ。お城があった時代の」
「じゃあ、武家なんだ」
「領主共々滅んだのです。一番か二番の家来だったんですよ」
「誰ですか」
「だから、地名と同じ、萩野です」
「それが没落して百姓になったのですね」
「元々、そうだったらしいですよ。土地の豪族です。だから、戻っただけ」
「詳しいですねえ」
「合田さん、青成さんですが、そんな雑談をしていましたよ」
「その青成さん、今は」
「生きておられれば百歳をかなり越えていますよ」
 この老婆の父親の世代なのだ。
「はい」
「青成さんも、実は萩野一族なんです。まあ、あの村は、ほとんどが萩野さんですよ。養子に出したりして、姓は変わっていますがね」
「あ、はい」
「市会議員の萩野は、やはりその」
「そうそう。そこが限界。票田は萩野村だけですからねえ。それに今は余所からきた人が多いし。地縁血縁の時代じゃないですよ」
「それで、あの句のどこが問題だったのですか。芭蕉そのままだから、以外に」
「萩の宿があったことです」
「さっき、宿屋なんてないて言ってましたが」
「敷地内にあるんです」
「はい」
「それが知られるのが問題と」
「誰が」
「萩野本家です」
「屋敷内に宿。何ですかそれ、ふつうに遊女を泊めるだけでしょ」
「母屋に入れるわけにはいきません。だから、仮屋を建てたのです。それが一つ屋です。同じ屋根の下じゃなく、離れでもありません。敷地内にお座敷を建てるようなものです。すぐにばらせます。離れや別館じゃなく小屋掛けならいいんです」
「それは」
「はい、臨時の遊郭です」
「ほー」
「それが知りたかったのでしょ」
「そうです。それが」
「残っているのです」
「本当ですか」
「秋の収穫後、毎年呼んでいたこともあったらしいです。だから、終わっても分解しなかったのです」
「見られますか」
「無理でしょ。今は市会議員のお宅です」
「助さん格さんですか」
「助さんじゃいけないでしょ」
「はい」
「あの屋敷、保存家屋として指定されています」
「臨時遊郭の一つ屋は」
「そちらも古いのですが、さすがに」
「見たいです」
「もう柱も腐って、廃屋ですよ。木や蔦が絡んで、それで崩れないんです、茂みのようにしか見えません。そこにもちろん萩の枝も絡んでいますよ。細いですがね」
「見られたのですか」
「はい、父につれられて萩野本家へ行ったときです。大昔ですがね。同人誌に広告が出ているでしょ。萩野さんの。だからスポンサーだったのです。もう昔の話ですよ、遊女はもっともっと大昔」
「本当に遊女が出張してきたのですね。少し遠いですが、宿場町がありますねえ。あそこの遊郭からですね」
「さあ、父が言うには遊女にもいろいろあるんですが、萩野の遊女は種類が違うのです」
「はい」
「なぜか、って、聞かないの」
「なぜですか」
「昔は旅から旅への女性を遊女と言っていたこともあるようです。遊郭の女性だけじゃありません」
「旅芸人のような」
「さあ、そこは曖昧です。村人と一緒に歌ったり踊ったりしたらしいです。これは背景にお寺や神社があります」
「白拍子のような」
「踊りもしますが、流行歌なども歌います。それが芸です」
「でも、あの句では最後は雑魚寝でしょ。乱交パーティーのようなものですねえ」
「そういうことにもなったかもしれないというだけですよ」
「しかし、萩野本家はどうして取り壊さないのですか」
「年に一度は来るからでしょ。越後の薬売りのように。萩の本家宅は定宿なんです。彼女たちの」
「その後、来ましたか」
「さあ、それは知りません」
「客は」
「村人です。まあ、サービスですねえ。大地主としての。だから、村の若者は無料です。ただ、遊女に気に入られなければだめですがね。それで酒盛りをして、村人も酒の肴として隠し芸のようなものを披露するんです。ただの宴会ですよ」
「でも、色っぽい廃屋ですねえ」
「強者どもの夢の跡です」
 
   了


 


 


2014年10月1日

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