小説 川崎サイト

 

浅き夢見し

川崎ゆきお



 あっさりしていて軽い物。お茶漬けのようにさらっと食べられるもの、それが三好の最近の好みだ。年を取ると、そっちへ向かうのだろうか。または三好だけの個別の問題かもしれないが。重いものより軽いものを好むようになってから、ふと三好は、これはよくある傾向ではないかと感じた。この感じには色々なものが含まれている。その中の一つが、年を取るとそうなるということだ。これは気付かないうちにそうなっていたので、自然なことだが、考え方そのものも、それに引っ張られる。深い考えに至らないで浅く軽いところで止めてしまう。これは年寄りほど思慮深い、とは逆だ。だから、三好だけがそうなっているのかもしれない。
 そういうことは取るに足らぬ思いなのだが、妙に気になる。年と共に浅はかになっていくのでは老人としての知恵も何もあったものではない。分からなくなれば、村人は村の長老に聞きに行く。長老は物知りで、故事に明るい。誰も体験していないよう昔の事柄も体験している。だから、村人は聞きに行くのだ。ところがその長老が浅はかで軽いと、もう重鎮ではない。
 しかし、そう言う長老のように結構な年齢になった三好は、その傾向もあるのではないかと、考えた。自分がそうだからという、これも軽い考えだが。
「ほほう、それはあるねえ」
 三好と同年配の神岡も、賛同する。
「実はねえ、三好さん。私なんて、若い者に合わせていますよ。いつの間にかね」
「え、どういう意味ですか」
「だから、若い人の言うことはよく分かるとね」
「はあ」
「だから、若い人が気に入るようにね」
「それは」
「だから、本当は反対だけど、賛成する。物分かりのいい老人の振りをしてますよ」
「それこそ、浅はかでしょ」
「いや、よく考えた場合だって、そんなものですよ。実はねえ、どっちでもいいんですよ。賛成でも反対でも。これは裏表でしてねえ、どちらも正解で、どちらも間違っているんですよ」
「ほほう。面倒なので、適当に合わせているんじゃないのですな」
「その面もあります」
「若者に合わせるとは、どういうことですか」
「大体若い者はいくら説教しても言うことは聞かない。私がそうでした。だから、同じなんですよ。何を言っても」
「はい」
「だから、若者を味方にするため、べんちゃらを言っているわけじゃないけど、あまりこだわらなくなったのですよ」
「青年将校に理解を示しすぎた軍の重鎮のようになりませんか」
「また、遠いところに例を取ってきますなあ、三好さんは」
「いえいえ」
「そういう時代に生きていたわけじゃないでしょ。物の本などで知っただけでしょ」
「いや、漫才界の重鎮が、若手をベタ褒めしたりしているのも見ています。あれは本意じゃない」
「それは、また離れたところから例を取ってきますなあ、三好さん」
「いえいえ」
「私が思うには、長老も重鎮も、いうほどの力はないのですよ。重鎮って、重しでしょ。文鎮のようなものだ。これは置物なんです。そして誰が重鎮だと決めます。皆さんがでしょ。その皆さんが気に入るような判断をしないと、重鎮ではおられませんぞ」
「ほう」
「だから、逆に自分の意見などないほうがいい」
「それは日本流の組織のあり方ですねえ」
「本来はね。重鎮が小賢しい知恵を出すのは御法度だ。黙って座っておればいい」
「よく分からなくなりました、神岡さん」
「そのうちぼけて判断などできなくなりますから、そのときは、これが都合がいい。黙って、はいはい言ってりゃいいんだ」
「私にもその傾向があります。面倒臭いので」
「そうでしょ、一番深い人が、一番浅瀬に出てしまうのです」
「それはちょっと」
「まあ、世の中が浅く見えてくるせいもあるのでしょうなあ」
「じゃ、軽くていいと」
「ただ、この軽みは重きを知ってないとできない芸当ですぞ」
「はい、心します」
「駄目だなあ、重い話をしてしまったよ、三好さん」
「え、もの凄く軽かったですが」
「あ、そう」
 
   了


 



2014年10月2日

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