小説 川崎サイト

 

日常の結界

川崎ゆきお



 たまには何もしたくない日がある。体調が悪い日とそれが重なると、ますます何もしたくない。そんな日でも会社へ行っていた田口だが、それは普通のことで、余程の病気でもない限り、問題はない。一日のスケジュールをそれなりにこなしていた。
 ところが退職してからは、何もしていない。特に用事はないのだ。その状態で何もしたくない、となると、寝ているしかない。しかし、疲れ果てて寝るのはいいが、妙に頭が冴えているとき、横になるのは逆に苦痛だ。そのため、何もしたくないときの本命と言える寝ること、これができない。
 普段から何もしていないのだから、これ以上何もしないというのは難問題になる。しかし、何もしていないようでも何かをしている。何もしていないという日課がそれなりにある。それは決まったテレビ番組を毎日見たり、徐々にやっている掃除の続きをしたり、朝夕必ず来るネコの餌を用意したりとか、それなりにあるのだ。だから、そういうことを今日はやりたくないのだろう。つまり、昨日と同じようなことをやりたくないというのが正解だ。
 これは非常に危険な状態だと田口は認識している。ちょっしたストライキ、サボタージュだ。下手をするとクーデターになる。クーデターとは日常がひっくり返るようなものだ。
 田口は何度も転職した。会社も何度も入り、何度も出た。そのときのことを考えた。それは今と同じような「今日は何もしたくない」が基点だった。きっかけだ。それで世の中がひっくり返りはしないが、田口がひっくり返った。たまには裏返しになるように投げられた方がすっきりするのかもしれない。文句なく背中から落ち、裏返しにされたのだから。
 しかし、今は特に何もしていないので、誰からも投げられない。一人相撲で、でんぐり返る程度だ。
 しかし、この気分になったとき、毎回発火し、日常が大きく崩れている。だが、今はこれ以上崩れようがない。猫は困るだろうが。
 その他は日常のことで、暮らし向きのことなので、それ以上の変化はない。ご飯はやはり食べるだろうし、掃除もするだろう。洗濯も。だから、ひっくり返りようが実はないのだ。既に背中が付いているようなものなので。これは言い方が悪い。背中ではなく、地に足が付いているのだ。これを浮かすことは難しい。
 要は、昨日とは違うことをすればいいだけの話だと田口はすぐに理解し、外に出ることにした。
 いつも外に出る時間は決まっている。ゴミ出しの時や、スーパーへ行く時間などだ。これは定期便に近い。しかし今日は昼に外に出た。これは何年もなかったことだ。昼は食べたあと昼寝をするので。
 その日は明るく眩しい秋晴れの良い天気だった。自由気ままな暮らしのはずなので、いつでもそんなものは見られる。しかし、昼食後の空を見るのは久しぶりだった。
「危ない危ない」
 田口は警戒した。こういう気分、心境になったときは個人幻想の世界に入り込むためだ。それで車の通らない細い道に入り込んだ。ここなら自転車にぶつかる程度で済む。
 しかし、先日スーパーへ行ったとき、その道に立て看板があった。事故の目撃者捜しだろう。歩行者と自転車の接触事故があり、その自転車を捜しているらしい。だから、自転車も危ないのだ。ぶつかれば。
 田口は細い道を行くが、すぐに抜けてしまい、大きな道に出た。当然歩道を歩いたが、よく歩道に車が突っ込んで事故になる。それでガードレールがあればいいが、今歩いている通りにはそれがない。
「危ない危ない」
 普段なら気付かないような危なさを田口は過剰に意識した。それで怖くなり、もう引き返すことにする。
 先ほどの細い道に戻ると、すぐに自転車とすれ違った。ブロック塀から柿の木の枯れた枝が伸びている。それが道にかかっている。うっかりすると、目をつきそうだ。いつもなら、そこに成っている柿が緑から柿色に変わるのをチェックしているのだが、今日は違う。ステージが違う感じなのだ。
 細い道からもう一度大きな道に出たところに田口の家がある。当然まっすぐ行けば抜けられるはずなのだが、そうならないのではないかと、心配になる。
 当然、その路地から抜け出せ、通りに出て、家に戻った。
 日常の結界から外に出たのだろうと、状況を分析した。
「危なかったなあ」
 田口は昼寝を省略し、便所掃除の続きをした。
 
   了




2014年10月8日

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