小説 川崎サイト

 

物語の話

川崎ゆきお



「私は物語があまり好きではない」
「はい」
「嫌いではないがね。好きでもない。その程度のものだよ」
「いろいろな事柄には物語がありますねえ」
「その事柄をやっているときは、まだ物語にはなっていないだろう」
「はい、物語はあとで語られるのですかね」
「まあ、それは解釈だ。だから、都合のよいように作られる」
「でも、事実関係は動かせないでしょ」
「どの事実を入れ、どの事実を入れないかで、違ってくる。当然語り方でも違ってくる」
「たとえば」
「中学生が自転車で東海道五十三次を走った」
「はい」
「冒険談だね」
「そうです」
「しかし、見方を変えれば青少年問題云々の対象にもなるだろう。さらに精神的な面からの物語もある。これは冒険ではなく、一種の非行だと。家に居たくなかったとか、危険なことをして目立ちたかったとかね。その中学生は自転車に幟を立てていた。東海道自転車旅とね。これで、この少年は物語の方向性を自分で演出した。単に東海道を走るだけなら、静かに走ればいい」
「違ってきますねえ。物語のジャンルが」
「それを見ていた人は、一人一人解釈が違うだろう」
「自転車好きなら、車種が気になります。そういう長旅用の自転車があるんです。ハンドルが二段になっていたりします。当然荷物が積めるような仕様にしています。スポーツ車でありトラックなんですね」
「詳しいねえ」
「いえ、僕も自転車で遠乗りしますから」
「あ、そう」
「それで、物語の話なのですが」
「ああ、そうだったねえ。何でもかんでも物語にしてしまう。これが気に食わん」
「では、どう言うのがいいのでしょうか」
「勝手な解釈や、理屈付け、理由付け、都合の良いように話していく。これがどうも胡散臭い。まあ、ドラマなら良いんだけどね。現実の出来事を物語のように語ったりするのが、気に食わんのだよ」
「気持ちが食べたくないのですね」
「え、気に食わぬとはそういう意味だったか」
「さあ」
「まあ、いい」
「はい」
「良いようにも作り換えられる。作る側のさじ加減でね。いや、意図だろう。その方が都合が良いからだ。綺麗な物語は危ない。そう言うことだ」
「美談などもありますねえ」
「いや、美談と断りが入っていると、もう駄目だ」
「もう、涙が出て来ますか」
「いや、最初から美談なので、見ない、聞かない」
「どうしてですか、いい話ですよ」
「それが気に食わん」「
「また、気持ちが食べたくないと言っているのですね」
「そんな美談に乗るものかと思う」
「あ、はい」
「美談にした根性が気に食わん。別の視線から見れば悪談かもしれんぞ」
「あ、悪談ですか」
「まあ、いい。そういうことは。それより、美談後の話が聴きたい。一度美談で治まると、その後はどうなる」
「メデタシメデタシで過ごすのでしょ」
「美談を成立させた人物、たとえば、人を助けた人だとする。その人はそこでは助けたが、他では助けなかったかもしれん」
「そんな、ひねくれた」
「現実はそうできておる。物語のようにはいかん。全てのことを語ることもできんので、省略が多いし、物語にふさわしくないところは話さない」
「では、どう言うのがいいのでしょうか」
「自分自身の物語を思えばよい。歴史書と同じで、今が基点だ。今に都合の良いように語られる。当然今は未来に繋がる。これは何処から出て来ておる」
「ああ、その方がいい感じになるからでしょ」
「人は欲深い」
「はい」
「終わりじゃ」
「え、結論はそれですか」
「それ以上語ると、わしの物語を披露することになる。そんな野暮な真似はしとうない」
「あ、はい」
 
   了


2014年10月9日

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