小説 川崎サイト

 

秋刀魚の皿

川崎ゆきお



 何かをするとき、きっかけとなるものがある。それが先に来る。これにはそれなりの理由があり、動機がある。それをしないといけないとか、今、それをやれば、あとで楽になるとか。当然仕事などでは、もっと細々とした作業があり、行程やスケジュールが先に決まっている場合が多いだろう。
 ただ、自分の意志で、これをやろう、あれをやろうと考えることもある。かなり考えた末に、いざ実行になると、とたんに躊躇してしまうこともある。
「それは、また次の機会にやろう」と、作田はいつも先延ばしにしていた。それよりも目の前のもので忙しく、何かをそこに入れると苦しくなる。
「しかし、そろそろやっておかないと」
 作田は常にそう言った案件めいたものを溜め込んでいる。日常のちょっとしたこと、たとえば秋刀魚などを焼いたとき、それを乗せる長細い皿を買うとかだ。皿はあるのだが、秋刀魚は長い。大きな西洋皿はあるが、丸いため、お膳が狭くなる。細くていいのだ。秋刀魚ほどの細さでよい。しかし、これはなくてもそれほど困ることではないし、小さな皿でも、人に見せるわけではないので、秋刀魚がはみ出てもいいし、二つに切ってもいい。しかし、長いまま食べた方がサンマは美味しい。
 しかし、そんな秋刀魚の皿を買うためだけに家を出るわけにはいかないので、何かのついでになる。大概はそんなことは忘れているので、未だに買えないでいる。それで、困るわけでもなく、また秋刀魚を焼いて食べる機会など年に何回もない。ただ、秋刀魚ほど長くはない魚の場合にも、大きすぎる丸い西洋皿はやはり不満だ。巻き寿司は長いが、皿には盛らない。そのまま掴んで食べればいいが、これも切っていない巻き寿司を買うのは、年に一度だろう。
 小さな話なら、それで済むが、大事なことで、まだスタートさえ切っていない案件が残っている。それをやるだけの意味はあるのだが、ネタが大きいので大層に思うのだろう。また、結構面倒で邪魔臭いことをしないといけない場合が多い。
「何とかならんか」
 これは、やれば済むことなのだが、なかなか発火しない。
「発火、着火」
 百円ライターも指で強く押すか回さないと発火しない。
「要はきっかけだな」
 作田はそこに辿り着いた。
 いろいろな案件は以前に思い付いたもの、決心したものだ。決めたものだ。さあ、やるぞと。しかし、ネタが古いので湿っており、火が付きにくくなっている。これは安全でいいのだが。
 だから、今思うことが大事なのだ。今なら、二三日は賞味期限のようなものがあり、盛り上がりの中にある。これをすぐ経過させてしまうからお蔵入りになるのだ。
 ただ、この今思う、というのは、ただの回想では駄目だ。今、本当にそれをやろうという気になっていないと。
「これは難しい」
 考えるより、先に体を動かす。これが大事なのだが、その動くための発火が必要なのだ。
 しかし、上手くいった例も作田にはある。長く抱えていた案件を、そういう過去から取り出すのではなく、今急に思い付くこともあるからだ。思い付けば火も付く。
 それは何だったのかと考えると、今考えていることではなく、今、何気なく思ったことが火種になる。それは通り過ぎる自転車を見ていて、急に懸案になっていた事を思い出した。そして気持ちも同期した。それは、その自転車、坂道を上がっていた。辛いのか、降りて押していた。
「これなんだ」と作田は発火したのだ。案件の一つに、この坂道を登る楽な方法があったのではない。辛さだ。坂は人生には付きもので、自転車では坂は辛い。その解決策として、坂道を作らないことだ。それには地道な積み重ねで、坂にならないようにすべきだ。というものだった。
 それで、作田は将来楽になるであろうと予測して、地道な作業を始めるべきだと、発火できたのだ。
 ただ、その自転車、降りて押している。
「自転車に乗ったまま登ろうとするから辛いのだ。歩けばそれほどでもないだろう」
 と、別のヒントを得てしまった。
 結果、その地道な作業案件は、またお蔵入りになった。
 
   了




2014年10月12日

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