小説 川崎サイト

 

音が来る

川崎ゆきお



 高層マンションの中程に住む西田氏から妖怪博士は依頼を受けた。広いリビングは応接間のように豪華で、ホーム炬燵などは置かれていない。長いソファーが二つあり、もう一つ小さい目の安楽椅子のような椅子がある。マッサージ椅子のようにも見える。
 その椅子に西田氏は座り、妖怪博士はシーツが真っ白なソファーに腰掛けた。間に長細いテーブルがあり、聞けば桜材らしい、その節のようなものが所々にある。
 西田氏は、ぽんとテーブルを指で叩く、すると楽器のように良い音色が出た。その音色を聞いたあと、本題に入った。
「出たのかどうかは分かりませんが」
「はい」
「得体の知れぬものがいるようなのです」
「はいはい」
「いいですか」
「あ、何がですかな」
「こういう話。これは妖怪か幽霊か、ただの錯覚かどうか曖昧でして、お呼びするほどのことではない可能性もあります」
「どうぞどうぞ」
「では、お話しします」
 西田氏はウインスキー入りの紅茶を呑みながら語り出した。妖怪博士はアイスコーヒーを飲んでいる。
「音がします」
「はい」
「夜中、妙な音が」
「どのような」
「妙なとしか言いようがありません。音は複数します」
「漏れてくるのでしょうなあ」
「やはり、そう言うことなんでしょうか」
「はい、意外と遠くの部屋から聞こえてきたりするようです」
「そういう例はありますか」
「はい、霊が成す音だと言ってきた人もいます。ラップですね。他の音をそう聞こえたとも取れますし、本当に霊が立てる効果音のようなものかもしれません」
「その依頼はどうなりました」
「分からずじまいでしたが、特に被害はありません。そのうち気にしなくなれば、聞こえなくなったようです」
「そうですか」
「それで、どのような音色なのですか」
「今はしません。寝静まってからです」
「どのような」
「シュワー」
「シャワーでしょ。誰かが使っている」
「私は一人暮らしです」
「ですから、隣の人とか、上の人、下の人。またはその近くの人。意外と離れた部屋からの音が聞こえてくることもあるようですよ」
「はい」
「鼠が下水管から上がってくることもありますし、または換気口からパイプ電話のように聞こえてくることもあるようです」
「ほう」
「これは、そう言うことを専門にしている駆除士に聞いた話ですがね」
「駆除士?」
「鼠やシロアリ、害虫を駆除する人です。蛇なんかもね。上がってくるらしいですよ。それらが音を立てている可能性もあります」
「シュワーシュワーと低い音で、小さくなったり大きくなったりします。たまに音頭のようにも聞こえたり」
「音頭」
「伊勢音頭に聞こえました」
「ほほう、伊勢音頭とはまた古い。よくご存じで」
「これでも音楽家ですから」
 西田氏は桜材のテーブルを指で木琴でも演奏するように叩く、すると、音色となり、汽笛一声新橋をとか、青葉茂れる桜井のとか、坊さん簪買うを見た。など、古いメロディーになった。
「こんな板だけで、そこまで演奏できますか」
 妖怪より、妖怪博士はその方が不思議だった。こんな魔術のようなことができる西田氏こそ魔人ではないかと。
「たまにオーケストラのようにいろいろな音が重なることがあります」
「耳が良いのですなあ。いろいろな雑音が混ざり合って」
「はい。しかし、その中で、シュワーシュワーだけは違うのです。音の出所と言うか、次元が」
「ほう」
「そのシュワーが特に大きく聞こえ出すと、寄ってきているような」
「ほう。音が」
「何が来たのかと思い、目を開けます」
「はい」
「誰もいないが、モヤのようなものがかかっています。紫色の」
「それはよくありますよ、西田さん。煙たいような感じでしょ。煙が出ているような。うっすらとですが」
「はい」
「魚を焼いたあとのように、あるいは蚊取り線香でも焚いているかのように」
「そうです」
「それはよくあります。暗い室内を見たりしますとね」
「それはいいのですが、そうなっていない箇所がありまして、それが何かの形になっているのです」
「霞んでいない箇所があるのですかな」
「そうです。よく見ると人のようにも見えます。動いています」
「その形の向こうは」
「はい、それを見たのはキッチンです。だから、鍋とかがかかっている壁です。冷蔵庫もあります」
「穴が空いているような感じなのですか」
「はい、そこだけはクリアで、霞んでいません」
「つまり、その妖怪は霞んでいない部分の輪郭でできているわけですか」
「そうです。妖怪が煙の塊なら分かります。それが反転しているのです。ポッカリ穴が空いたように、そこだけ煙が立っていないのです」
「それで、どうなりました。電気を付ければ、その煙っぽい靄も消えるでしょ」
「はい、消えました。いつもの部屋の色に戻りました」
「音と連動しているのも興味深いですなあ」
「かなり大きくなります。これは耳鳴りとは聞こえ方が違います。出所が。そのときはウトウトしているときでして、シュワーシュワーと、いつもの音がまた聞こえだしたと思いながら寝ようとしますが、音が高まると、寝てられない」
「何かが来ていたとでも」
「はい、これは、妖怪だとピンときました」
「心霊ではなく」
「そうです」
「分かりました。妖怪と言うより、呪術にかかっているようなものでしょ、まやかしです。それは」
「そうですか」
「はい、御札を置いていきます」
「そんなものがあるのですか」
「その程度の呪術なら、あまり攻撃性はありません」
 妖怪博士は音曲観音の御札を切らしたようなので、笛を吹いている天女の絵が書かれた御札を、御札セットの中から一枚抜き出し、テーブルに載せた。
「有り難うございます。博士」
「あ」
「おお」
 二人は驚いた。桜材のテーブルに置いた和紙の御札が一瞬動いたからだ。
「昨日の雨で鞄が濡れていたので、中の御札も湿っていたので」
「ああ、なるほど」
 妖怪博士は仕事を終え、高層マンションのエレベーターを一気に降りた。
 これは儀式であり、本当に何かが起こっていたとしても、深く見ないで、紙切れ一枚で押さえ込もうという話なのだ。
 その後、西田氏は相変わらず妙な音を聞き、やはり靄ができており、クリアーな箇所は人型となっていた。しかし、御札をそれに向けると靄も消え、人型も消えたらしい。
 今ではそのシュワーシュワーという調べを桜材のテーブルで演奏できるまでになったとか。
 
   了


 



2014年10月13日

小説 川崎サイト