小説 川崎サイト

 

作らない

川崎ゆきお



「最近調子はどうですか」
「あまり作らんようになったねえ」
「名工が、もったいない」
「いや、作っていますよ」
「安心しました。引退されたのかと思って」
「こういうのには引退はないよ。人間国宝もないがね」
「新しいジャンルですからねえ」
「まあ、お茶でも飲んでいきなよ」
 老工は作業場の隅にある小さな冷蔵庫から麦茶を取り出した。
「もう寒いがね、冷たい麦茶で気合いを入れるんだ。飲み過ぎると、腹が張るがね。だから、ほどほどに飲むんだ」
「マラソンランナーが給水するようなものですね」
「そうそう。これには好みがあってねえ、スペシャルドリンクだ。しかしねえ、最近私は思うんだが、ただの水でも良いんじゃないかってね。これならいくらでも手に入る。作るも何もない。水道の水で良いんだ。最近は消毒臭くなくなっているから、そのまま飲めるよ」
「はい」
「で、何の話だっけ」
「最近調子はどうですかっ……とご機嫌伺いです」
「もう、君の師匠じゃないから、いいよ、そういう義理は」
「いえいえ、まだ学ぶことがありますから」
「そうかい。じゃ、少しだけ話してやろうかい」
「お願いします。でも手を止めて、大丈夫ですか」
「なーに、こんなもの、もう作らなくてもいいんだから」
 弟子は、作りかけの作品を見る。工作ものだ。
「どうだい、分かるかい」
「分かりません。でも以前と違ってきてますねえ」
「ああ、だから、最初に言っただろ。作らないようにしているって」
「はあ」
「だから、もう師匠じゃないんだ。そんなもの君が真似ても仕方がないだろ」
「これって、普通ですねえ」
「君もここに来たときは、こんなのを作っていただろ」
「はいはい。一番最初に作ったのは、こういう作り方でした」
「釣り人は鮒釣りに戻る」
「フナですね。一番最初にやり始める」
「そうそう、そしていろいろやってきた結果、最後はまた鮒釣りに戻る」
「はい」
「ただ、これは漁師じゃない。プロじゃないからできるんだよね。鮒なんて釣っても、何ともならんだろ」
「それで、師匠も鮒釣りに戻ったと言うことですね」
「もうネタはないしね。新奇なもの珍奇なもの、変わり物や、飾りすぎ、また精緻な物、趣向の凝らしすぎ。まあ、全部やったよ」
「その心境は」
「何でもないものに目覚めたんだよね」
「それは千利休のような心境ですか」
「そんな上等な考えではない。面倒くさくなっただけだよ」
「それだけとは思えませんが」
「それは、私が君の師匠だからだ」
「はい」
「しかしねえ、何でもないものは飽きない。最初から飽きているからね」
「はあ」
「それを発見したんだ」
「そうですか」
「だから、そんなもの、君は見倣う必要はないから、もう師匠じゃないと言っただろ」
「そうですねえ、こういうの値が付きませんからねえ」
「そうだろ」
「残念ながら、僕にはその味わいが分かりません」
「分からない方が良いんだ」
「はい」
 弟子は麦茶を飲み終えた。
「今度来た時は水になっているからね」
「名水のミネラルウオーターではなく」
「そうだ」
 
   了


 



2014年10月14日

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