小説 川崎サイト

 

夢語り

川崎ゆきお



 夢は昔は多く語られていたようだ。夢語りだ。夢のような話ではなく、見た夢をそのまま語っていたのだ。それを聞くのは主婦が多かったらしい。家の中で一番話しやすかったためだろうか。その上に姑がいて、家を切り盛りしているかもしれないが、一番活躍したのは嫁の方だろう。まだ、家に嫁ぐというような言い方の時代の話だ。
 家族の誰かが見た夢を聞く役目として主婦がいた。たわいもない夢の話なので、聞く人を選ぶ。そして主婦は幹事のようなものでもあったのかもしれない。先ずは主婦に振る。この場合もたわいもない愚痴なども、主婦が聞いていたのかもしれない。嫁は外から来た人であり、子供の頃から一緒に暮らしていた人でもない。赤の他人だ。だから逆に話しやすかったのだろうか。
 文字が読めず、書けずでは家に帳面はない。主婦が記憶するのだ。だから、主婦は帳面でもある。当然伝達係でもあったのだろう。
 さて、夢だが、見た夢を主婦に話す。主婦は多くの夢を記憶している。全部ではないだろうが、印象に残った名作はいつまでも覚えている。それを誰かに語ることもあるだろう。子供にかもしれないし、お婆さんになってからは孫にかもしれないし、村の人や町屋の人かしれない。
 この夢語りは、物語であり、お話しだ。それもライブに近い。新作が多い。というより、全部新作だろう。それが廃れたのは、物語を語る専門家が出て来たり、文芸のせいだと言われている。
 講談師見てきたような嘘を言い……だが、この嘘を聞きたかったのだ。そして、文芸というか、おとぎ話や子守歌や手まり唄などでも、何らかの物語が語られている。当然和歌や連歌などもそうだが、もっと日常的で、身近な話としては、夢があったのだ。それらの夢物語が文芸に変わったという説もある。もう人の夢を聞かなくても、専門家が作ってくれた夢のような話があるためだ。
 夢はお告げのようなものだと思われていた時代は、忘れないようにメモしないといけない。しかし字が書けなければ、帳面である主婦に記憶させることになる。
 せっかくのお告げも、目覚めたときは覚えているが、すぐに忘れてしまうだろう。だから、早く主婦帳面に書き込んでいたのだろう。書くのではなく、録音するように吹き込むのだろうが。
 見た夢がたわいのない話でも、それはお告げかもしれない。そのときは判断できない。忘れては一大事だ。
 今は寝て見る夢よりも、いろいろな物語が世間にある。テレビを付ければドラマはやっているし、本屋へ行けば小説がある。だから個人が勝手に見た夢など、もういらないのだ。ただ、この夢、オリジナリティーが高く、毎晩新作を何本も上映されていることもある。
 文芸になると、他人が考えた作り話を見たり聞いたりしていることになる。ただし、本人も物語を自生している、夢で。これは天然物だろう。
 という話を、竹田は、夢で見た。よくそれだけのことを記憶していたものだと、本人も驚くほどだ。それを語っていたのは誰だったのかは分からない。ナレーションの声、語りの声と、映像が同時に出ていた。きっと前日夢について書かれた本を読んだためだろう。その作者の声だったのかもしれない。ただ、竹田はどんな声の人なのかは聞いたことがない。かなり昔の著者のためだ。
 
   了


 



2014年10月15日

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