小説 川崎サイト

 

マンションに喰われた町

川崎ゆきお



「朝から嫌なものを見たよ」
「何かありましたか」
「いやね、大したことはないんだが、いつものように食べに行って」
「牛丼屋の朝定食ですね」
「そうそう、自分で作るよりも安いんだ。シャケ定食なんだが、一皿おまけが付く、選べるんだ」
「僕も食べたことありますよ。朝からお腹一杯になりますね。丼飯だし、味付け海苔と味噌汁と漬け物だけでもいいのに」
「その一皿がね」
「それが、何か嫌なことでも」
「嫌じゃない。その一皿を豚皿にしたんだ」
「一番良いやつを選びましたねえ。僕はとろろにしています。ご飯に掛けて食べるんです」
「それもいいねえ、ああいう粘着ものはスタミナが付く」
「それで、豚皿はどうなりました」
「重なったんだよ」
「シャケ定食でしょ」
「味噌汁を豚汁にしてもらっていたのを忘れていた」
「ああ、なるほど、でも、栄養が付いていいじゃないですか。損をしたわけじゃないし、それが嫌なことなんですか、今朝の」
「そうじゃない。そこを出て」
「出たのですか」
「食べ終えてね。もう満腹だよ。まあ、毎朝のことなんだけど、今朝は久しぶりに天気が良いんで、寄り道をした」
「牛丼屋はもういいんですか」
「牛丼屋の話じゃないんだ。寄り道したところがねえ……」
「そこで何かが起こったとか」
「何も起こらなかったんだが、景色が変わっていたよ」
「何の」
「町並みのだよ」
「ああ、そうですか」
「君は知らないと思うが牛丼屋の西側は城下町だったんだ。古い町屋や大きな酒蔵が並んでいてねえ。長屋も多かったなあ」
「そんなのが残っていたのですか」
「結構ね。しかし、今朝何年かぶりに歩いてみると様変わりだ。古い家、商家なんだろうねえ。昔の、そんなもの殆ど消えていた。酒蔵の長い板塀なんて、もうない。大きな家具屋が建っているし、汚い長屋もあったんだが、高層マンションだよ。昔を偲ぶものってお寺ぐらいだが、これも鉄筋コンクリートの寺になっていたし、門も閉まっておる。大使館のように警備が厳重になっていた」
「僕もたまに寄りますが、そんな場所だったのですか。マンションが集まっている一角だと思っていましたが」
「崩れかかった酒造所の長い板塀、夜なんて、薄暗くて歩けなかったよ。今はマンションの玄関先で、綺麗になったんだが、これは違うんだなあ」
「それが、嫌なものを朝から見たって言うことですか」
「そうなんだ。ショックだよ。子供の頃、冒険でよく入り込んだ路地なんかも、もうないんだ。貧乏な同級生が長屋に住んでいてねえ。一緒に夏休みの宿題をしたものだよ。その長屋の小さな家でね。しかし玄関先には朝顔が咲いていて、清々しい場所だったんだ。いつも水をまいているようなね。そういうのは以前少しは残っていたんだが、もう根こそぎ持って行かれたよ。路地もね。そこにでーんと高層マンションだ。これには参ったねえ」
「まあ、時の移り変わりは早いですから」
「嫌だねえ」
「でも安い値段で朝定食が食べられるのも、この時代の恩恵ですよ」
「懐かしい町並みと交換かい」
「トレードです」
「そうだねえ。豚皿が付くシャケ定食を取るか」
「そうですよ」
 
   了


 



2014年10月16日

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