小説 川崎サイト

 

漂泊の俳人

川崎ゆきお



「人はねえ、物によって人も変わってしまう。不思議なものじゃないが、人の気持ちなんて単純なものなんだよね。これは言葉遣いを変えると、また違ってくる。人柄までね。性格も。そんなことで影響をすぐに受けるんだから、物は大事なんだ。下手な物を選ぶと、違った面が出てくる。人は言うほどに個性などないのかもしれないねえ」
 老いた旅人がペンションで若者に語っている。まだそんな施設があるのだろう。そして、こういう宿は食後ミーティングなどが始まり、逃げ遅れた客は災難に遭う。
「わしは旅人でねえ。昔は自分のことをおいらと呼んでいた。今はさすがに使わない。わしらでも良いが、わし一人だ。似たよう同類もいない。それはわしが旅の俳人のためだ。漂泊のね。これも若い頃読んだ本がまずかった。そういう俳人がいてねえ。大昔じゃないよ。芭蕉や一茶の時代じゃない。もっと最近だ。だから、時代劇じゃなく現代劇に近い。もうその頃は漂泊の俳人も無理があっただろうねえ。それで、わしは若い頃から雲水のような格好をしてねえ。これはインチキ臭いよねえ。しかし若いから分からなかったんだ。別にそんな旅の坊さんのような扮装をする必要なんてなかったんだ。それにわしは仏教のことなど知らん。あの服装に憧れたんだねえ」
 若者は拷問に遭っているようなものだ。他の客はその雲水がいることを知っていたので、早い目に食堂から姿を消していた。
「人はねえ、物やポーズ、スタイルね。これは何でもよいが、そういうものを身に付けたり、そういうポーズをとり続けていると、そういう人間になったような気分になる。中身はカラなのにね。見てくれだけだ。見かけ倒しだ」
「いいですか?」
 青年が沈黙を破った。
「何か質問かな」
「トイレに行ってきます」
「聞くものだよ。我慢して。昔はそうだった。吉田松陰のエピソードを知らぬのか」
「でも、漏れます」
「ここで漏らしてもいいんだ。それが礼儀だ」
「大便です」
「え」
「さっき食べた鯖で、お腹が」
「そうなの」
「下痢です」
「じゃ、病んでいるなら、仕方あるまい」
「はい」
 青年は当然、そのまま食堂には戻らなかった。
 老いた旅人はそれに慣れているのか、特に落胆しない。まさか探し出してまで話の続きはできないだろうし。
「どいつもこいつも」
 と、呟きながら外で買ったカップ大関をポンと開けた。
 
   了
   


 


2014年10月17日

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