小説 川崎サイト

 

小さな兆候

川崎ゆきお



 大きな変化は見ていなくても、小さな変化にそれが出ていることがある。これを曲解すると、予言や占いのようになる。
「風が吹くと桶屋が儲かると言うでしょ」
「風は吹きますが、桶屋なんて、あるんですか。棺桶屋なんてのはあったような気がしますが、丸いやつでしょ。桶はポリ容器に変わっていますよ」
「諺なので、言葉が古いだけです。ただ、儲かるのが桶屋だけだと解釈すると、これはピンポイント過ぎますねえ」
「そうでしょ」
「まあ、そういう話ではなく、兆候は身近なところからも起こっているのですよ。それが大きな変化の現れの一つだとすれば、大きな動きを見なくても、小さな動きを見ていれば世の中が分かるという算段です」
「計算できるわけですか」
「さあ、しかし、小さな、つまりローカルだけで完結する事象も多いです。大きなところとは繋がっていないで、独立しているんです。そこだけね」
「植物や動物の様子だけで天気を予測する人がいると聞きましたが」
「ああ、それは別に専門家じゃなく、長年の経験で分かるんでしょ。あそこの木の紅葉が早ければ、何とかと。まあ、これはマニアが天気を当てるんじゃなく、実用的なことでしょ。農作物や山仕事などで必要な情報ですからね。しかしその年の冬が寒くても穏やかでも、まあ、受け入れるしかないでしょ。気候を変えるわけにはいかないので。だから、早い目に冬野菜の種をまくとか、遅らせるとか」
「地味な話ですねえ」
「農作物や自然現象はそれなりに分かりやすいですがね、人の動き、社会の動きになると、これは複雑だ。要素が多すぎる。経験を積んでいても役立たないこともある」
「しかし、気になることは結構ありますよ、ちょっとした変化。表情の変化とか態度の変化など」
「それはローカル内ですよね。対人関係程度の」
「はい、しかし、社会から、そう思われているんだと思うこともあります」
「具体的に」
「具体的にですか。はい。挨拶です。近所の人とすれ違ったとき、軽く挨拶をしますが、それが最近素っ気ないのです。挨拶はしますよ。しかし軽いのです。何か含みがあるような。その人だけとなら、これはローカルですね。一対一で終わる。しかし、他の人もそうなんです」
「ほう」
「これは広がりがあるでしょ。何かあったのかと思いますよ。それが兆候でしょ」
「挨拶の変化が兆候。はいはい、そんな感じです。いいですよ。続けてください」
「挨拶をしないわけじゃない。やっている。しかし、ごくわずかなんですが、よそよそしい。これは何でしょう」
「顔に何かついているとか、妙な色目の服装をしているとか、そういうことはありませんか」
「ありません」
「じゃあ、問題になるような行為を町内でやってませんか」
「心当たりはありません」
「ゴミの分別をしなかったとか」
「そんなことはありません」
「ほう、それは謎ですなあ」
「何かの警告だと思うのです」
「警告にしては弱いですねえ。挨拶が少し変化した程度で。で、そういう挨拶は何人とやります」
「向かいの村田さんの奥さんと、犬の散歩の牛島さん」
「牛が犬の散歩」
「そういう話じゃないでしょ」
「はいはい」
「それから雑貨屋のお婆さん」
「三人か四人ですか」
「この二日ほどのことです」
「二日じゃ偶然の可能性が高いです。雑貨屋のお婆さんは歯がまた欠けて機嫌が悪かった。お向かいの田中さんの奥さんは夫婦喧嘩の後だった。犬の散歩の牛島さんは、老犬なので、それを心配している最中だった」
「当たってます。牛島さんの犬は二十年近いです。歩くだけでも一杯一杯です。補助輪が必要です」
「それが原因かもしれませんねえ」
「誤解だと」
「今朝はどうでした」
「ふつうでした」
「そうでしょ。だから、偶然ですよ。それにねえ、本当にあなたに原因があった場合、逆に愛想が良かったりしますよ」
「ほう、逆に出ると」
「まあ、いつもの木の葉の紅葉が早いか遅いかのように単純ではないのです」
「しかし、それが当たっていたら、雑貨屋のお婆さんは本当に歯がまた欠けたわけでしょ。挨拶でそこまで読めませんが、兆候ですよねえ」
「それは例です。私は知りませんが、お婆さんに元気がない理由を適当に想像しただけですよ。馴染みのマッサージの若い先生が、他へ移ってしまい、それで気が沈んでいるだけかもしれません」
「よく、そんなことまで想像しますねえ」
「例えですよ。例え」
「はいはい」
「だから、あなた自身の兆候じゃなく、相手の兆候でもあるのです。ただ、どうなのかは、分かりませんがね」
「要するに小さな兆候もよく分からないってことですか」
「変化があったことだけは分かる。中身は分からない。そういうことです」
「為になりませんでした」
「毎度のことです」
「はい」
 
   了
 

 


2014年10月25日

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