小説 川崎サイト

 

提灯屋

川崎ゆきお



 日常的なもの、身近なもの、普段の暮らしも中での立ち回り場所。それらは平凡で変わり映えしないのだが、踏み込まないためだろう。入り口がそこにぽっかりと空いているのだが、その手前で、入り口を横に見ながら通過する。
 その入り口が金魚屋だったとしよう。そんなものに興味はなく、また金魚など飼う気もない人なら、通過するだろう。ところがペットショップには行ったりする。犬や猫だけがペットとは限らないが、キャッツフードやドッグフードは定期的に買っているはずだ。だから、必要なので入る。当然普段の立ち回り先として。ただ、専門店の餌は種類も多く、目移りする。買い始めた頃から一番安くて量の多い大袋で買っている場合はその限りではないが、たまには乾燥したものではなく、缶詰ものも与えたい。これは飼っているペットとの関係にもよるだろう。餌にそれほどお金は掛けられないとか、餌など買わないで、残り物をやる程度とか。そんな人はペットショップで餌を買う定期的行動がなくなる。
 金魚屋やペットショップに限らず、世の中にあるほとんどのものの入り口が口を開けている。用がないので、入らないだけだ。
 当然店に限らず、駅やバス停もそうだ。そこからあらゆるところへ行けるだろう。乗り継がないといけないが。駅が遠くても、駅へ向かう道がある。それが入り口だ。ただ、その道は駅へ行くだけの入り口ではないが。
 だから、日頃の立ち回り先や、その範囲は狭いのだが、一種のプラットホームだ。いろいろなものと接続できる。かなり専門性の高いものでも、その入り口から入り、乗り継ぎ乗り継ぎで辿り着ける。
 吉田はそんなことを思いながら、散歩コースを歩いている。一時間もかからない周遊コースだが、それらの入り口から、その気になれば、いくらでも奥へ行けるのかと思うと、悪い気がしない。
 秋祭りだろうか。商店街の御神灯が飾られている。しかも通りの真上にいくつも飾っている。そこで思い出したのだが、この御神灯の提灯。実はその近くに提灯屋があるのだ。これは珍しい。そこで作っている。こういう提灯の需要がまだあるのか、廃業しないで続いている。大量生産物が出回っているので、本当は苦しいのかもしれないが。
 吉田の散歩コースの中で、提灯屋へ一段階で辿り着ける。これは偶然だ。本来ならその先の先の、さらに先にあるような提灯屋があるのだ。乗り換えなしでいける。そういうのも、たまに混ざっている。
 しかし、吉田は提灯に用はない。ただ何かの事情で、提灯が必要になり、さらにそこにオリジナルの文字や紋、家の名などを書き込むとなると、吉田は誰よりも先に、最短距離で、それができるだろう。
 いつか提灯が必要なときが来るのを楽しみにしている。
 
   了
   
   
    

 


2014年10月28日

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