小説 川崎サイト

 

凡人の秘密

川崎ゆきお


 人は普段、何をしているのだろうか。室田はそれが気になった。知っている人ではない。毎日道ですれ違っている人や、たまに見かける人だ。情報はそれなりにあるが、それ以上の詳細は分からない。朝、起きたあと、すぐに何をやっているのかとか、仕事場はどこにあり、どんな作業を日々やっているのか、等々、それを言い出すときりがない。
 特にプライベートになると、身近な人や家族などしか分からないことだろう。
 室田も子供時代があったので、家族のプライバシーはよく知っている。ただ、それは家族に見せても良いことに限られる。連れ合いになら良いが、子供には内緒とかもある。さらに家族にはすべて秘密の情報もある。ある親友だけが知っていたり、二度と会うこともないような人だけが、それを共有していることもある。
 これは平凡な人でもそうだ。その全体像は分からない。本人にしか。だから見た目はただの凡人だと思っていると、痛い目に遭う。室田の想像を超えた世界を知っていたり、実は特別な人間で、かなり非凡な人だったりする。それらに関わらなければ、知らなければ、ただの凡人のまま見過ごすだろう。
 そういう含みを室田は常に意識している。
 室田自身は誰が見ても平凡な人間で、何処にでもいそうな人間だ。誇れるようなことも、面白可笑しく語れるようなドラマもないが、小さな話ならふつうの人並みに持っている。これは昔の話をしたとき、ちょっとしたエピソードとして。実はあのとき、偶然台風が来ていて、帰れなくて、程度のものだが。
 ある年齢になると分かるのだが、非凡な人は非凡な顔をしているわけではない。これは有名人をリアルで見たとき、意外と普通の人だったりする。
 最初から顔かたちに大きな特徴があり、誰もその顔まねができない人なら別だが。それでも、スケールが少しだけ落ちる。軽く見えてしまう。
 テレビでよく見ている老人が、リアルで見ると、意外と若いことも。これはメイクされた映像ばかり見ているためだろう。
 それよりも、人はあまり人生の積み重ねが顔には出ない。潮風に吹かれた老いた漁師などは別だろうが、最初から皺の多い人なのかもしれない。顔には出ないが、手には出たりする。箸より重いものを持ったことのない人と比べてだが。それらは具体的で、いつのまにか妙なところに筋肉が付いていたりする。水泳選手の胸や背中を見れば分かるだろう。
 ただ、肉体ほどに人生は顔に出ない。悪いことばかりしている人ほど良い顔をしていたりする。顔には出ないのだ。
 ただ、その悪いことをした人だと知った瞬間、そういう顔に見えてしまうから不思議だ。愛嬌のあるえくぼも、悪のえくぼに見える。この人が笑ったときは、悪いことを考えているときで、あのくぼみに悪が詰まっていそうだと。
 非常に恰幅がよく、人徳者の顔立ちで、いつも堂々とした仕草で、威張っているわけではないのに、貫禄がある人。そういう人が意外と頼りない人で、小心者だったりする。しかも堂々と。
 その人の物語を聞いてみないと分からない。
 ある素晴らしいプロジェクトを展開させた人が、実際には貧相な顔立ちの小物タイプ、端役のさらに端にいるような雰囲気の人だったりする。
 室田は、そんなことを思いながら、日々すれ違う人を見ている。殆ど妄想のようなものだ。想像はできるが、接触が少ないので、解答は永遠に得られない。
 そう語る室田は、掛け値なしの凡人なのだが。
 
   了
   
 

 


2014年11月17日

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