小説 川崎サイト

 

物語パターンの失敗

川崎ゆきお


「人の行動にもパターンがあるようにね、物語にもパターンがあるんだ。これは不思議と似たようなパターンになる。レールのようなものが敷かれているわけじゃないが、そこを通ってしまう」
「その物語のパターンを破るとどうなりますか」
「物語が成立しにくくなる。行き止まりになったりね」
「その行き止まりから始まるような物語はないのですか」
「あるだろうけど、戻るんのがいいんじゃないのかい。先がないのだから、やることがない。じっとしているだけだからね」
「そこで瞑想に耽るとかは」
「それも良いが、これはまた、別の物語に組み込まれてしまう。そういう話にね」
「じゃ、物語的ではない物語がいいんじゃないですか」
「そういう物語に乗ると、分かりにくい人になる。筋が見えない人にね。曖昧で、あやふやで、何を考えているのか得体が知れない、正体が分からない人になる。これはこれでいいのだが、損をすることも多い。分かりにくい人だからねえ。扱いにくい」
「もっと他の切り口はないのですか」
「そういうことだよ」
「え、何がですか」
「物語というフレーズを使えば、物語云々の話になる。最初に系譜ありきだろ。それではない系譜、系譜にもならないようなものから始めるのがいいかも」
「括り方によって違ってくるのですね」
「視点でも違う。着目点でも違う。どれを全体かと見る約束など実際にはないのにね。まあ、あった方がツールとしては便利で、分かりやすい」
「科学は一種の腑分けですからねえ」
「分類することだね」
「はい」
「ここなんだ」
「え、どこですか」
「何で、分類するの?」
「分かりやすく説明するためでしょ。整理して」
「分けない、整理しない。そういうものは個人的にはいくらでもあるだろ。それで不便は感じない」
「はい」
「選択肢が五つ用意されていたとしよう」
「五木の子守歌の五つですね」
「よけいなことを言わなくてもいい」
「はい」
「その五つはメニューのようなもので、分岐ものだ。それぞれ言葉で示されている。絵でもいい。上から順に五つ」
「パズルゲームのようなものですか」
「最初は、そのメニューの言葉、文字だね。それを読んで選択する」
「はい」
「慣れてくると、上から二番目だということを覚えているので、もう文字など読まないで、二番目を選択するようになる」
「あ、あります。もう読まないですねえ。場所を何となく覚えているので、上から二番目とか、三番目とか。それがどうかしましたか」
「個人で何かをやるとき、そういうことをやっている」
「はあ、それが何か」
「分からない?」
「はい、それとパターンとか物語とどう関係するのですか」
「悪かった。例が悪かったようだ」
「すみません、鈍くて」
「整理の仕方の例だったんだ」
「ああ、なるほど。別のことを考えていました」
「え」
「何か難しいパズルのように」
「パターン認識の話なんだ」
「つまり、パターで覚えるってことですね。それは分かりますが、それが何でしょうか」
「いや、だから失敗したと言っておる」
「その五つの順番、変わることもあるのでしょ」
「ああ、あるねえ」
「二番目だったのが三番目に変更されていたりとか」
「そうなると、メニューの文字を読まないといけないね。探すため」
「それが三番目に来ていたら、次からは三番目、と覚えるわけですね」
「そういう話だが、パターンとは何かという話では一般的すぎて、それこそパターンにはまってしまったわい」
「何をやってもパターンにはまるわけでしょ」
「だから、少しずれたときにおいしさが出る。味が出る」
「はい」
「これは意外性を作為的に入れるのとは、ちと訳が違う」
「ちとですか」
「そう、ちと」
「そのあたりの外し方、ずれたときがいい感じになりますねえ」
「良いことを言う。だがそんなこと積極的にはしない」
「どういうときにやるのですか」
「ただ単に、失敗しただけだ。間違えただけじゃ」
「失敗は成功のもとですね」
「それは物語でのお話だ。実際には失敗は失敗じゃ」
「あ、はい」
 
   了
   
 

 


2014年11月23日

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