小説 川崎サイト

 

寺の話

川崎ゆきお


 年寄りが古い話をするのは、その話は昔とそれほど変わっていないためだ。その話とはその老人達さえ生まれていない頃の話。朝からそんな話を喫茶店でやっている。町中にできた大きな商業施設で、飲食店も多く、喫茶店も多い。開店と同時に年寄り達は好みの店に入る。
 値段的には安い方で、しかも広い喫茶店に、最近二人の年寄りが来て盛り上がっている。寺の話だ。観光地の寺でもなく、当然有名ではなく、言うほど古いことはない。江戸時代後半の寺なので、まだそのまま残っているのだ。その寺の檀家の一人が、寺自慢をやっている。
 寺は市役所のようなもので、亡くなった人の記録が残っている。過去帳だ。その過去帳は最初の一人目から記録されている。
 さらにお経を読んでいるときに鳴らす鐘などもよく保存されているとか。このお寺を研究するだけでも、十分価値があると見たのか、それを聞いているのはこれもまた年寄りの先生だ。ただ、もう退職している。だから、好奇心だけで聞いている。
 この二人だけが他の年寄りと違うのは、健康の話や食べ物の話や野球やテレビの歌番組の話ではなく、いきなり歴史の話になっていることだ。しかも、信長がどうとかの話ではなく、赤穂浪士の討ち入りは実は江戸幕府が仕込んだ吉良家滅亡陰謀だったとかではなく、お寺に纏わる話と絡ませて江戸から明治にかけての庶民の暮らしなどが語られている。自慢できるような仏像はなく、ただ昔のまま残っているだけのありふれた村の寺なのだ。
 これはある意味マニアックな話なのかもしれない。その内容は雑誌の歴史読本と大法輪を合わせたような内容だ。
 その寺は今もあり、初代から何代目かまではいろいろな人がやっていたが、その後は地元の有力者の縁者が受け継いでいる。だから、今はその和尚さんの家のようなものだ。
 この寺の歴史は、維新や日清日露、太平洋戦争の記録でもある。村から出征した人の碑などが並んでいる。ただし太平洋戦争後の碑は粗末なものだとか。
 先生は毎朝このお寺の話を楽しみに来ている。もう何か書き物をするような気がないのか、ただ単に好奇心として聞いているだけで、話す檀家の年寄りも、今まで聞いてきたエピソードを披露するのが楽しいようだ。酒の肴ではなく、モーニングコーヒーのおつまみとしては、十分おいしいようだ。
 村を貫いている街道沿いの話とか、藩主や公家さんが来たことがあり、そのときの献立表も残っているとか。何を食べていたのかが、それで分かるし、また、こういうのが昔はごちそうだったのかと、今では考えにくいものを食べていた。たとえば、釜揚げの稚魚を山盛りにしたものとかだ。寺で生臭いものを食べていたのだ。
 古い話ほど長持ちするようだ。
 
   了
 
 

 


2014年11月26日

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