小説 川崎サイト

 

思案橋

川崎ゆきお


 紅葉で町も色づきだした。この変化はすぐに分かるだろう。春の桜もそうだ。しかし、そんな変化など気にもかけていない時期がある。忙しいからだろう。また、そんなものを見ている余裕がないとかだ。これは心の余裕で、豊かな心ではないということではない。むしろ、そんな四季の変化など気にしていない方が健全かもしれない。
「最近、見るようになりましたなあ、見つめるほど。立ち尽くして、橋の上から、それを」
「ほう、橋の上から紅葉を」
「川沿いに木が並んでいるのですよ。だから、橋の上からだと見晴らしがいい」
「川面ではなく、紅葉見学ですか」
「ああ、何もないときは水の流れを見てますよ。一円にもなりませんがね」
「橋の上でじっと立ち止まってですか」
「長くはないですよ。数分です。それでまた歩き出して、次のポイント地点で、また眺めます。やはり桜がいいですなあ。葉桜もそうですが、まだ緑色があり、黄色があり、赤がある。それがまるで印象派の絵のように異なる色目の点描です。葉が点なんだなあ」
「葉が点」
「遠くだとね、近いと葉の形をしていますが、それらの色目違いの葉が混ざり合い、重なり合い、あるいはグラディーションと言いますか、徐々に色目が変わっていく。色目の階調としては粗いですが。しかしその方が分かりやすい」
「こんな街中なのにねえ」
「そうです。私が生まれた頃にはそんな並木や街路樹なんてなかった。人の家の庭先に植わっていた程度ですよ。だから、紅葉見学に出たこともあります。紅葉狩りですなあ。今は遠くまで行かなくても、街中でも十分紅葉が楽しめます」
「それはいいですねえ」
「よくない」
「はあ」
「そんな暇なことをやっているんですからなあ。他に用がないんだ。だから威勢のいい話じゃない」
「でも、そういう鑑賞は」
「鑑賞ではなく感傷ですよ。何か頼りない話です。寂しい話ですよ。そういう変化に注目点が移ってしまったのですからな」
「それは結構な身分で」
「これも身分の内ですかな」
「あなたの身分がうらやましい。橋の上でじっと紅葉を見てられるんですから」
「いやいや、これは不健康だ」
「自然を愛でる。これは健康的でしょ」
「愛でてなんていませんよ」
「ほう」
「本当に見ているのは、紅葉じゃない」
「別のことを思いながらですか」
「この近くにお好み焼き屋がありましてねえ。持ち帰り専用だ。あれを買うべきかどうかいつも思案している。昨日はそうでした。あれを買うと中途半端だ。一食にしては量が少ない。おやつとしては高い。そんなことを思案していました。目は紅葉を向いてますが、心はそこにあらず」
「橋の上で思案」
「その橋を思案橋と名付けています」
「ありますよ。そういう名の橋」
「あ、そう」
「最初見たとき、危ない人じゃないかと思いました」
「私ですか」
「橋の上に立ってじっとしておられる。しかも深刻そうな顔で」
「ああ、だから、お好み焼きを食べるかどうかで、考え事をしていたからですよ」
「紛らわしいですねえ」
「粉ものですから」
 
   了
   
 

 


2014年11月27日

小説 川崎サイト