街頭演説
川崎ゆきお
「やってみると、動きが見えてきますよ」
「ほう」
「やる前は大したことはないとか、これをやって、何になるのかとか、やってもそれほどの見返りはないとか、そういうことで、スタートが切れない人が多いです」
「あなた、ビジネス書の人ですか」
「啓蒙しません」
「ほう」
「しかし、やってみると展開が違って来るものです。最初のイメージとはね。これは、いい展開もあるが悪い展開もある。しかし、もう歩き出し、走り出したので、目先のことが気になります。だから、その展開に付き合ったりします。やめることも選択肢の一つですが、好奇心が先に立ちます。どうして、こんな展開になるのかとね。それで、もう少し付き合ってみようと考えるわけです。実際には頭の中での想像や空想ではなく、行動が伴っています。反応はもろに出ます。実体験ですからね。現実の中での行動ですから、これは履歴として、その人の人生にも書き込まれることです」
「大げさな」
「ちょっとしたことでもいいのです。やり始めると、いろいろなものが見えてきます。これがいいのです。やる前には出てこなかったものがね。まあ、予想はしていたでしょうが、実体験ではありません。これは、バーチャルなものであっても、同じなんです。やはりそこで時間をつぶしていますからね。ただ、立ち止まって、ぼんやりとしているよりも、ましな程度ですが」
「難しそうな話ですが」
「まあ、話だけでもいいのです。その話に乗ってみて、初めて分かってくることがある。決して体を動かせとか、行動を起こせとかじゃなく、今までやっていなかったことをやり始めることが大事なんです」
「分かりにくいです。それはあなたの体験ですか」
「そうです。これは食わず嫌いとも言えますが、それだけではありません。好きなのに食べないこともあります。おいしいのが分かっているだけに、分かり切った世界のためです。何度も体験した世界ですからね。だから、好きなことでもやらないことがあるんです」
「はっきりとしないお話ですねえ」
「いやいや単純なことです。建設的でも退廃的でも、どちらでもいい。その中に入って行くと、思っていた以上に、あるいは以下もありますが違う展開が待っているという話ですよ」
「それは何ですか」
「生きるということです。これは大げさなので、自分で言うのも恥ずかしいですが」
「ほう」
「人も動物も動いてなんぼなんです。だから、動物なんです。動いてこそいろいろな展開がある。生きるということは動くことなんです。まあ植物も動いていますがね。芽を出したり、花を咲かせたり。ま、じっとしていれば餓死しますから、当然動いて当然なのですがね」
「箸を持つにも、手を動かさないとだめですね。そういえば」
「そうです。箸の先には食べ物があるでしょ。少し珍しい物を食べたければ動かないといけない。そういう物を売っている場所までね。これで、十分です」
「え、何が十分なんですか」
「生きるという意味においてです。そういう動きが大事なんです」
「それは積極的に出よと言うことですか」
「いや、消極的でもいいのです。それはそれなりの展開が待ってます。消極的という行動です。これは何もしていないのではなく、消極的な動きをしているわけです」
「え、何ですかそれは」
「あえて、消極的な動きに出ているのであって、これは動いていることなのです。すると、いろいろと変化や展開がある。たとえば、縮小や休憩を積極的にした場合、休憩という行動に出たわけです。すると、休憩にまつわる世界が開けてきます。休憩して初めて見えてくる世界もあります。何もないときもありますがね。ただ、ここで、休憩に出たことが大事で、これはある意味積極的なことなんです」
「仮病で休むとかも」
「そうそう。それも積極的でしょ。すると、仮病で家にいる世界が開けてきます。そのまま遊びに出てもいいが、ずる休み中という重石がありますねえ。だから見られてはまずい人と会わないようにとか、さらに後ろめたさも加わる人もいるでしょうし、逆に、してやったりと、楽しめる人もいるでしょう」
「それは結局どういうことですか」
「次のページをめくりたいのでしょう」
「ほう」
「次に書かれているものが気になるのですよ」
「見たくない場合もありますよ」
「それも含めてです。見たくないページが続くと、違う本に代えるでしょ。これなんです。動いてこそ、そういう展開が生まれる」
「それって、ふつうにやってません?」
「やってます」
「じゃあ」
「改めて、そういうことを語るのも、またいいものですよ。それに、何もあなたに売りつけませんから、ご安心を」
「あ、はい」
「拝聴ありがとうございました」
「う」
了
2014年11月30日