小説 川崎サイト

 

前進と後退

川崎ゆきお


 少し前に進み、これは違うと思い、また戻る。一歩進んで二歩下がるでは、後退し続けることになるが、二歩下がったあと一歩前進するのだから、ここは下がったとは言えない。三歩進んで二歩下がるなら、全体的には前に進んでいることになるが、二歩後退の時期もある。二歩進んで一歩下がるでも似たようなものだが、まとめて進み、まとめて後退したパターンだ。
 一歩進んで一歩下がるでは、現状維持だ。こちらのほうが分かりやすい。三歩進むでは、その三歩の中身が分かりにくい。一歩を一日と計算すれば分からないこともない。
 ただ、世の中が後退、退潮気味のとき、現状維持の一歩進んで一歩下がるでは意味が違ってくる。現状維持しているだけでも偉いということになる。他のものが後退している中で、踏みとどまっているためだ。しかし、これは進んでいるとは言えないが。
 逆に世の中がどんどん進んでいるときに、現状維持では取り残され、後退しているようにも見える。
 歩みは亀のようにのろいが、後退はなく、確実に一歩一歩進んでいくタイプは悪くないのだが、引かなければ危ないこともある。つまり後退や撤退をしないと、大きなダメージを受け、もう動けなくなることもある。だから、後退できるのは、まだ元気なのかもしれない。後退、つまり一歩下がる力もなくなっているより、良いのだろう。
 ただ、何を根拠に前進とか後退と言っているのかが問題で、進歩しているように見えても、実は退化して行っている可能性もある。世の中全体がそうだと、それに気付かなかったりする。
 便利になることと引き替えに失うこともある。これを退化とは言わない、便利になったことを優先するためだろう。
「昔はねえ、バスに乗ると車掌のお姉さんがいたんだよ。運転手とは別にね。あれがなくなってから不便になったよ。バス代はねえ、あのお姉さんに払えば良いんだ。席まで来てくれる」
「ありましたねえ。僕がまだ子供の頃でした」
「道路も良くなり、ガタガタしなくなったし、車も良くなったし、エアコンも付いて快適なんだが、あの女車掌さんがいたときのほうが快適だったねえ」
「自動化の時代ですからねえ」
「これは後退じゃないの」
「さあ、バスは見掛けますが、殆ど乗ってませんねえ」
「そうなの」
「乗る機会がないんです」
「そうだねえ、年寄りは無料なので、私は乗ってますがね」
「観光バスや、電車のないところでは乗ってますよ。高速バスもね。しかし、近所を走っているバスには乗らないです」
「赤字らしいしね」
「それでも走っているんだから、偉いですよ」
「廃線になった鉄道も多いねえ」
「現状維持だけでも大変ですよ。市バスの時代じゃもうないのにねえ」
「君はどうしてバスに乗らないの」
「バス代がもったいないからです。それに歩いた方が健康に良いし。運動、何もしてませんから」
「じゃ、今日はどうして乗ってるの」
「足を怪我したもので、自転車のペダルが踏めないのです。それにこの雨だし」
「そうだろ。やはりいるんだよ。こういう市バスは」
「そうですねえ」
 
   了

   
   
 


2014年12月5日

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