小説 川崎サイト

 

夏冬噺

川崎ゆきお


 冬、寒くなると動きが鈍くなるのかと思うと、そうでもない。夏場より動きが機敏だ。寒いためだろか。同じ道を歩くにしても早い。早く目的地に着き、暖まりたいのかもしれない。そのため、寒中にいる時間をできるだけ短くしたいのだろう。当然体を強い目に動かしている方が暖かく感じる。信号待ちなどでじっと立ち止まっている方が寒いことでも分かる。
 夏場は逆にだれてしまい、動くのが大層になる。動けば動くほど汗をかくからだ。
「日照時間が短いからですよ。朝は夏よりも暗いので、できない用事も多い。暗いとね。まだ暗いのに散歩にも出掛けにくい。朝の散歩じゃなく、夜の散歩になる。夜が来るのも寒い時期は早い。だから、一日が短いので、急ぐんです」
「私は夏場暑いので早起きですが、冬場はだめですねえ。もう少し、もう少しと布団の中でぐずってます」
「夜はどうですか」
「朝が遅いので、時間が押してきて、少し遅い目に寝ます」
「夜は夏がいいですか? 冬がいいですか」
「さあ、夏でしょうかなあ。少しは暑さがましになるので。冬は冷え込んできますよ。昼間よりもね。そこで暖房を効かせてゆるりとするのも良いんですが、暖かくなると動きが止まりますなあ。炬燵から出ようとしない。これはいけない。同じ姿勢でじっとしているので、色々なところが痛くなる。尻がそうです。腰もそうです。肩もそうです。新幹線で三時間ほどじっと座っているようなものですよ。じっとしているのも疲れる。夏場だと、暑いので、たまに立ち上がる。汗が出るので、同じ姿勢でいるとまずいですからなあ」
「炬燵がいけないのですね」
「はい、ホーム炬燵に入ってしまうと出たくない。外ではしゃきしゃき動くのに、炬燵の中ではだめだ。やはり、ここだけは夏のだれた気分になるのでしょうなあ」
「昔は囲炉裏端というのがあったでしょ」
「ああ、体験はありませんが」
「囲炉裏端がホーム炬燵になったんでしょうなあ」
「そうですねえ、座る位置も決まっていたりします」
「家ん中でキャンプをやっているような感じです」
「そんな家はもうないでしょ」
「煙たいですからなあ。それに薪がない」
「薪割りってのがありますねえ。時代劇でよく見かけました。剣豪だと、かつんと一撃で割る」
「はいはい」
「あれをやりたいんだが、今では無理ですなあ」
「子供が体験でやったりしますよ」
「ほう、お孫さんがですか」
「はい、何かの課外授業で」
「ほう」
「田植えや、稲刈りや大根抜きも」
「それは農家の子でないとできんでしょ。町の子では」
「やられましたか」
「町の子なので、そんなな体験はなかった」
「じゃ、今の子供の方が、詳しいかもしれませんよ。大根、抜いたことないでしょ。私もないです」
「ないです」
「水田に入ったこともないでしょ」
「ないです。虫を捕るため、誤って足を突っ込んだことはありますが、田植えはないですなあ」
「しかし、手伝いで、親の田圃に入るのと、授業で入るのとでは違うでしょ」
「何処が」
「跡を継がないといけない場合は、義務感もあります。または継ぎたくない場合は、手伝いなので、いやいやだったり」
「はいはい」
「それに同年配の子供と一緒に田圃に入るなら、これはまた違う。プールに入るようなものですよ」
「はい」
「だから、体験したからって、背負っている物が違うと、ただの遊びになる」
「その話は、もういいですから、夏と冬の話はどうなりました」
「ああ、それもどうでもいい話だから」
「ただの感想ですからなあ」
「そうそう」
 冬場、こういう眠い話を暖かい場所で聞くと、さらに眠くなる。
 
   了

   


 


2014年12月6日

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