小説 川崎サイト

 

一匹狼

川崎ゆきお


 北村は子供の頃から一匹狼のような動き方をしていた。この言葉、野性的で良いのだが、北村は野生動物ではない。また、狼は群れを成して動くようだ。だから野生の中でも一匹狼というのは珍しいのかもしれない。逆に不自然。
 とはいうものの北村は多くの群れに参加しているし、群れ、つまり、いくつものグループに加わっている。仲のいい友達グループや仕事仲間だ。そこには席がある。ただ、群れは蒸れるのか、暑苦しくなる。風通しが悪いのだ。それで他のグループと接したり、違う人達と接触するのが好きだ。古い友達よりも新しくできた友達の方に行ってしまう。そのうち、古いグループにはあまり行かなくなり、いつの間にか単独行動の方が多くなってしまった。これを一匹狼と言うほどの迫力のあるものではなく、好きなようにしているうちにそうなったのだ。
 ただ、昔のグループと縁が切れたわけではなく、そのグループ内の個人とはまだ接触はある。
 殆どメンバーの変わらない団体の中にいると暑苦しくて息苦しい。もう出るべき話題も決まっているし、誰が何を言うのかも予測され、新味がない。もっと違うことを言う人に興味を示すのは当然だ。これは人間関係を大事にするというのを目的としないためだろう。狭い世界にも色々と善いことはあるのだが、そこは村の秩序ができてしまい、役割分担もいつの間にか決まっている。それが窮屈なのだ。
 ある団体からスーと抜けるときの快感を北村は知っている。このときの気持ちよさは、快感ということではなく、何か背筋がしゃきっとするのだ。北へ帰る旅人が襟を立てて夜汽車から夜景を見ているようなものだ。これは悲しさや寂しさと同時に楽しさも併せ持ち、何とも言えない感慨になる。これが良いのだろう。ただ、これは娯楽ではない。
 群れを嫌う、または群れから追い出されたわけではない一匹狼だ。要するに単独行動がしやすいタイプで、これが固定した村人のようなパターンだと、好きなようには動けない。
 つまり、一匹狼の北村は、動くのが好きなのだ。内に風がないので、外に出るだけのことかもしれない。これは単に刺激が欲しいだけとも言える。。
 仕事関係でも遊び関係でも、色々なグループに参加していただけに、顔は広い。村人よりも世間を多く知っている。旅の雲水が多くの情報を持っているように。
 北村は孤独な一匹狼ではなく、群れを嫌う人間ではない。むしろ群れが好きだ。だから色々と渡り歩いているのだろう。
 
   了

   


 


2014年12月8日

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