小説 川崎サイト

 

大きな物語

川崎ゆきお


 大きな話より小さな話の方が増えている。小さく細かく、もうそれは本人にしか分からない話にまでなると、独り言になる。自分自身にしか役立たない、または通用しない話になる。しかし、本来、それでよいのかもしれない。
「大きな物語が消えたということですか」
「どこから」
「ですから、世の中のいろいろな方面で」
「大きな話って、何でしょうか」
「皆が関心を持っているような話ですよ」
「ありましたねえ。昔はテレビ番組なんかで、教室なんかでよく話していましたよ。昨日のあれはどうだったとか。プロレスもそうですし、野球も」
「それは小学生の頃ですか」
「そうです」
「でもテレビを見ていない子供もいたでしょ」
「いましたねえ。親が見させないとか」
「はい、勉強の邪魔になりますしね。それに塾とかに夜に行っていると、見られないですしね」
「録画で見られるのですがね」
「小学生ですからねえ、自分のテレビならいいけど」
「ああ、一家に一台しかテレビがなかった時代ですねえ」
「テレビの話じゃなく、その当時でもテレビを見ていない子供もいたってことですよ」
「いましたねえ。その話題になると付いていけないので、加わらないか、聞いているだけでしたねえ。そのものを見ないと、やはり話に加わりにくいでしょう。見た子供ばかりなので、見たことを前提にした話なので」
「皆が知っていることが、大きな話なのかどうかは分かりませんが、一番人気の番組がありましたねえ。これは子供なら絶対に見ているような」
「たとえば」
「月光仮面や、スーパーマンです」
「ふ、古すぎる」
「これはねえ、まだ家にテレビがない時代だった」
「ほう」
「だから、テレビのある家へ見に行ったのです」
「友達の家ですか」
「そうじゃなくてもいい。テレビが家にない子供が数人集まって、押し掛けるんです。あまり知らない家でもね」
「テレビにはそれだけの力があったのですね」
「見る側もそうですが、見せる側もそうです。放送局じゃないですよ。テレビを持っている家です。これはまあ、金持ちですからねえ、自慢したいわけじゃないけど、悪い気はしなかったんでしょうなあ。おやつなどもくれましたよ」
「紙芝居よりも得ですねえ」
「そうそう、電気紙芝居を見て、さらにお菓子は無料」
「お菓子だけですか」
「お茶も出ますよ。それにちょうど夕食時間帯なんですねえ。だから、カレーとか出ることもありましたよ」
「それは大きな話なんですか」
「大きくはないです。小さなブラウン管のテレビで、白黒ですよ」
「僕は生まれたときからテレビはありましたよ。ロンパールームとかよく見ていました。幼児番組です。良い子と悪い子が出てくるんです。良い子は(いこチャン)と呼ばれ、悪い子は(悪い子チャン)と呼ばれていましたねえ。おやつはミルクを飲むんです」
「よく覚えていますねえ。さすがに私はその頃は幼児じゃないので、見てませんよ。家にテレビが来てからは、もうよそ様の家に押し掛けることはなくなりましたが、あれが懐かしい。その家もね、月光仮面のチャンネルに合わせて待っているんですよ」
「それで、大きな話はどうなりました」
「ああ、そういう吸引力のあるものが分散したかな、という話です。問答無用で人の家に押し掛けられたようなね」
「なるほど」
「しかし、くどいようですが、そういうものに関心のなかった子供もいたんですよね」
「何をしていたのですか。その子供は」
「勉強したり、本を読んでいたんでしょうなあ」
「当時のテレビが大きな話だとすると、それに乗らなかった子もいたんですねえ」
「さあ、それは乗りたくても乗れなかったのかもしれませんよ。テレビを見るなと親から言われて、素直に従っていただけとか」
「はあ」
「私はテレビが欲しいので、勉強するからテレビを買ってくれと親に言ったことがあります」
「勉強していなかったのですか」
「はい、だから成績が悪かった。テレビばかり見ていたからではありません。家にないので、ずっと見られないでしょ。それで、テレビを買ってくれたら勉強するという約束で、買ってもらいました」
「良かったですね」
「いえいえ、それは親も見たかったからでしょ」
「どこのメーカーでした」
「ああ、組立テレビですよ」
「日立ですか」
「組み立てです」
「そんなのがあったのですか」
「家電メーカーに勤めてる人が近所にいましてねえ。その兄ちゃんに組み立ててもらいましたよ。これで安く買えたんです」
「それで、大きな話はどうなりました」
「ああ、大きな物語をするつもりで、細かい話になってしまいましたわ」
「はい、ご苦労様」
 
   了
   

   


 


2014年12月9日

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