小説 川崎サイト

 

未編集な世界

川崎ゆきお


 前田は最近テレビを見ていない。体調を崩したとき、テレビの画面を見るのが苦痛だったことがある。目が回るというか気分が悪くなるのだ。これは久しぶりに映画館で大きなスクリーンを前の方で見たときの印象に近い。目がついて行かないのだ。それでふらふらする。しばらくすると慣れるのだが、それでも映画を見るどころか、体が浮いたように不安定になる。
 大きな液晶テレビを買ったときは楽しくして仕方がなかったのだが、体調を崩してからは、その画面が大きすぎるのか、やはり目がついて行かない。それで、テレビを見なくなった。テレビがいやなのではなく、健康上の理由だ。そして体調が戻ってもテレビをつけなかった。またあの頃のように目がくらむのではないかと思うからだ。試しに付けたこともある。別に異常はなかったが、見る癖がなくなっていたのだ。ニュースなどを見ていると、同じアナウンサーが出ている。一年程度の空白なので、それほど変わっていないが、お天気お姉さんが違っていたり、スポーツアナが違っていたりする。中には初顔の人もいる。それらの人々は田中にとって身近な人達だったのかもしれない。テレビをつけると、出てくる人達だ。当然タレントや俳優などもそうだが、一番馴染んでいたのはアナウンサーだ。
 テレビを見ていた頃は部屋にいる間中、付けていた。実際には殆ど見ていなかったのだが、付けている方が部屋が賑わう。
 テレビを全く見なかった時期もあり、そのときはラジオをつけっぱなしにしていた。こちらも馴染みの声を日常的に聞くことで、生活の一部になっていた。
 田中は今はテレビもラジオも新聞からも離れたが、ネットだけは見ている。こちらへスライドしたのだ。だから、ニュースも天気予報もネットで見ている。本当に必要なのは、この二つ程度だったのかもしれない。
 ニュースサイトでニュースを見ることはあるが、興味のあるものがないときの方が多いが、世間の動きは毎日見ていることになる。勤めていた頃は経済新聞を定期購読していたのは情報源として必要だったためだ。今は株がどうの、新製品がどうの、政界がどうのなどから離れてしまった。本当にそれに興味があったのではなく、世間話として出たとき、困らないように毎朝情報の弾を詰め込んでいたのだろう。
 そして、最近はネット上のSNSに参加し、そこでいろいろな人の意見を聞くのが楽しみになっていた。勝手に流れてくるので、それを拾い読みするわけだ。すると、そこには政治の話から、映画の話から、保育園の話から、音楽ライブの話から、本の話から、次々と流れてくる。それらはテレビや新聞の記事にはならない、またはあまり取り上げない、または報道できないようなことも含まれている。
 これは何だろうかと田中は考えた。何か昔に戻ったような感じだ。近所のおじさんがとんでもない話をしていた頃のように。
 これは新聞の読者コーナーだけを抜き出したような記事だ。(何々に対して小生は遺憾に思う、如何なものだろうか、大阪市枚方市無職匿名希望)などのような。
 それらには元になる事柄があったのだろう。当然一般のニュースとして流れていることもある。そういうSNSの知り合いの記事を見て、初めてそんなことがあったのかと、ニュースサイトで探したりもした。そこでは、もっともらしく語られているだけだ。しかし、実際はこうなんだと、SNSでは語られている。
 これは逆転した感じになる。個人的な人の書き込みから、そのニュースを知ったりとかだ。テレビニュースや新聞にはあまり興味はない田中なのだが、そういうネット上での書き物は気になる。
 そういうのを追っていると、身近な人の情報の方が人を動かすと、誰かが書いているところまで行った。これをビジネスに活かす、などと言うことで、そういうサービスがあるので、あなたのお店でもやりましょうとか。
 この未整理で、誰も編集していない世界は何だろうかと田中は考えた。個人の意見や興味や思惑、当然置かれている立場などによる振り幅の広さ大きさを感じた。良いも悪いもなく。ただただ生々しい。
 
   了
 
 

  


2014年12月14日

小説 川崎サイト