小説 川崎サイト

 

一家言

川崎ゆきお


 世の中には色々なことを言う人がいる。当然似たようなことを言っている人もいる。似たような動機があるのか、好みが似通っているのか、それは分からないが、根底に合い通じるものがあるのだろう。同じ意見や傾向でも、また違った意味合いの場合もあり、何処までも合致するわけではない。
「自分の意見ですか」
「そうです」
「自分の考えですか」
「そうです。あるでしょ」
「痛い痒いじゃだめですね」
「ある事件を知って、心を痛めたとか、愉快になったとかのレベルです」
「背中が痒いは意見じゃないのですね」
「そうです」
「一応考えてみましたが、全部人の意見なんですよ。人の考えで、それをお借りしていることの方が多くて、自分らしいとなりますと、かなりひねって、強引に持って行かないと、なかなかありません」
「じゃ、あなたは一家言がない」
「家の意見ですか」
「ありますか」
「家ねえ。さあ、先祖代々伝えられているような意見なんてないですが、考え方は何か伝わっているかもしれませんが、先祖について、あまり知らないのです。せいぜいお爺さんかお婆さんまでで、特に何か家訓のようなものはありませんが、両親は教訓めいたことを、よく言ってましたねえ。しかし、今考えると、オリジナルじゃなく、何処かで誰かが言っていたような話ですよ」
「一家言を持ちなさい。そんな先祖の話じゃなく、あなたの意見や考えです」
「でも、それは自分に都合のいい話になりますよ。それでもいいのですか」
「かまいません。それが心から出た考えなら」
「じゃ、一家言って狭いのですねえ。これが気に入らないのです。それで色が付いてしまうのが」
「色々とある中の一つ。一色。それでいいのです」
「他の色も気になります。これは自分の都合とかには関係なく」
「一色じゃないと、一家言になりません」
「それはもしかすると、自分自身の基準と言いますか、根幹を見つけることですか」
「そして確信を持ち、堂々と述べることです」
「ああ、昔は探しまたよ。そういうの」
「そうでしょ」
「はい、軸のようなものが必要じゃないかと」
「いいですよ。その感じです。軸はぶれない。その軸を見つけたものが一家言を持った人と言うことにもなります」
「えらく、一家言にこだわりますねえ」
「私は論者ですから」
「学者さんでしたか」
「そうです」
「じゃ、だめだ。学者の言うことは絵空事だってお爺さんが言ってました。学者の言うことは現実とは違うんだって」
「それは」
「ああ、やはり家訓があったんだ。一家言が我が家にもあったんだ」
「え」
「だから、学者の言うことは信用しない。これです。これです。これが一家言です」
「もういいです。話が通じないようなので」
「これで、解放してもらえますね」
「どうぞ」
「よかった」
 
   了

 

 


2014年12月20日

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