小説 川崎サイト

 

流行歌が流れる商店街

川崎ゆきお


 高齢化社会という社会があるわけではないが、年寄りが増え、町でよく見かけるようになった。というより、年寄りしか歩いていないのではないか、外に出ていないのではないかと思えるほどだ。定年退職直後はまだ年寄りと言える年ではないが、そういう人達がうろうろしている。本来なら仕事中で、昼間からぶらつけるのは休みの日に限られるだろう。
 表通りも裏通りも道路工事が多い。水道管の入れ替えとかだ。ここでも年寄りがいる。交通整理をしているのだ。それは大きな工事でなくても、電気工事で、少し電柱に上るだけでも、人を立たせている。これらの人がそろって年寄りなのだ。その年寄りが、ぶらぶらしている年寄りの散歩人などを見ている。かたや働いており、かたや遊んでいる。もう十分働いたので、定年になったのだが、その年を確実に越え、誰が見ても老人となっても、働いている人もいる。
 都会の繁華街では若い人が多いのだが、少し周辺の町へ行くと、そこは年寄りの姿を多く見る。都心へ行く用事がないので、近くの繁華街などをうろついているのだろう。そういう町の商店街などでは高齢女性向けの婦人服などがびっしりと並んでいたりする。おしゃれな店より、そちらのほうが需要が多いのだろう。町が昔に戻ったのではないかと思えるほど、年代が逆転した。
「守谷浩ですなあ」
「ええ?」
「ほら、流れているでしょ。唄が」
「ああ、そうだ、そうだ」
 有り難や、有り難やと、念仏のようににも聞こえる有難や節が流れているのだ。こう言うのは無理に見付け出したものだろう。そんなレコードかテープを誰かが持っていたのだろうか。商店街に有り難や、有り難やと流れている。
「守谷が来たなら、森山加代子のチンチンのお月さんの唄だよ」
「いや、坂本九でしょ。次は」
「私は、もう少し古い、別れの一本杉がいい」
「春日八郎ですね。それなら僕はお富さんがいい」
「ああ、悲惨な唄だが陽気でいい。粋な黒塀、見越しの松にですか」
「風にしみるぜ傷のあと」
「いいねえ。これで一分じゃすまされめー、ですな」
 つまり、もう今の唄などこの年代の人は聞いていないのだ。次は仲宗根美樹の川は流れるが流れた。
「おお、そう来るか」
「これが来たんなら、西田佐知子が来ないと」
「アカシやの雨ですなあ。あれは学生運動の頃だ」
「東京ブルースもいいし、裏町酒場もいい。安心して退廃できます」
「昔の方が豊かだねえ。それに、みんなうまい」
 そして、寂れた商店街のアーケードのトンネルを抜けると、そこは木造二階建てが一番高いような昔の横町に。
……というわけにはならないが。
 
   了

 

 


2014年12月24日

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