小説 川崎サイト

 

十日戎

川崎ゆきお


 その地方では正月の次に十日ヱビスがある。子供はこれをトウカエビスと覚える。十日は日だ。これは子供はトウカと耳に入れる。学校で十をジュウと習う前に、耳にするのだろう。一二三をヒイ、フウ、ミイと覚えることは最近は少ない。駄菓子屋のお婆さんなどが、昔なら言いそうなことだが、最近はないだろう。ヨオ、イツは四、五だ。ムウ、ナナ、ヤツ、ココノツ、トウとなる。このトウが十のこと。
 竹下はトウカエビスと聞く度に、トウカやエビスを思い出す。それは十日ではなく、戎でもない。実際にはそれを差しているのだが、トウカエビスと切らないで耳に入れてしまったのだ。それが十日と戎になるのは後のことだ。
 トウカだけではなくハタチもそうだ。二十歳のことだが、これは数の二十ではない。そういう問題ではなく、十日戎を竹下は子供の頃、怖がった。この地方では商売繁盛の神様で、商売繁盛で笹持って来いの、唄もある。賑やかで縁起のいいお参りだ。
 それよりも、エビスが怖かったのだ。恵比寿顔と言うように、笑っている。それが怖いのだ。
 しかし、訳なく怖く思うようになったわけではない。理由がある。
 それは焼けたエビスを見たためだろう。十日戎の日に笹にいろいろな縁起物を付けてくれる。米俵や小判など。その中に当然エビスさんの面もある。その面が焼かれ、黒焦げとなっているのを見た。子供時代、町内でよく焚き火をしていた。ゴミを燃やすために。その燃えかすの中にエビスが顔を出していた。
 見てはいけないものを見たような気持ちになり、竹下はそれ以降、エビスはゲンの悪いものとして、胸に仕舞われた。
 エビスを蛭子とも書くことを知ったとき、これはヒルコではないか。蛭の子。それで、エビスがヒルになった。どんどん悪くなっていく。
 さらに神様が産んだ子が奇怪なので、ヒルコとして川に流したとか、エビスが夷であり、土着の先住民との関係を知ったとき、征夷大将軍に滅ぼされた先住民と、焼けたエビスの顔が重なった。
 もう、今はそういうイメージは消えたが、それでも竹下は十日戎と聞くと、少しはそれが残っているのか、畏怖すべきものとして、あまり触らないようにしている。だから、十日戎には何度も行ったが、一度も拝んだことはない。商売繁盛よりも、焼け爛れたエビスのインパクトの方が強かったためだろう。
 触らぬ福に儲けなしで、そのためではないだろうが、竹中は貧しい。
 
   了
   


   


   
   

 


2015年1月9日

小説 川崎サイト